トップQs
タイムライン
チャット
視点
エマニュエル・サンデュ
ウィキペディアから
Remove ads
エマニュエル・サンデュ(英語: Emanuel Sandhu、1980年11月18日[2][1] - )は、カナダのフィギュアスケート選手(男子シングル)。トリノオリンピックカナダ代表。2003年グランプリファイナル優勝。2004年四大陸選手権2位
Remove ads
人物
トロントで、イタリア系の母とインド系の父の間に生まれる。母は歌手だった[3]。エキゾチックなルックスとバレエで培った高い芸術性を誇る、個性派スケーターの代表格[4]。4回転トウループと4回転サルコウを跳び[5]、2003-2004シーズンのグランプリファイナルでエフゲニー・プルシェンコを破って優勝したほどの力があるものの、好不調の波が激しく[6]、安定した成績は残せていない。男子選手には珍しく、技のつなぎとしてスパイラルをプログラムに盛り込んでいた。
経歴
3歳からバレエを始める。カナダ国立バレエスクールにも10年ほど在籍し、11歳のころには同スクールの生徒として東京公演に参加している。8歳からはスケートを始め、しばらくはバレエと両立していた[7]。
1998年カナダ選手権で2位になったが長野オリンピックに派遣されなかった。そのことでマスコミに騒がれると同時に家庭内の問題もあって精神的に安定しない日々が続き、世界選手権ではFSに進めなかった[8]。2001年にはカナダ選手権で初優勝を果たした。2001-2002シーズンはカナダ選手権で2位となりソルトレイクシティオリンピックの代表に選ばれたものの、SPの前に棄権した。[6][3]。
2003-2004シーズン、初出場のグランプリファイナルでは2シーズン無敗を誇っていたエフゲニー・プルシェンコを破り優勝。四大陸選手権では2位に入った。2005-2006シーズンはグランプリシリーズで2連勝しながらも、グランプリファイナルでは大乱調で5位となり、トリノオリンピックでも13位と惨敗した。世界選手権では転倒がありながらもSPに2位につけるなどして、過去最高の5位だった。2006-2007シーズンを最後に競技会からは遠ざかった。
2008年夏、カナダのダンスオーディション番組「SYTYCD Canada」にトライアウトし最終選考で落選。2009年初頭に右膝を故障、手術。その後「SYTYCD Canada」に再トライしTop20入りし、最終的にはTop6に残った。
2011年11月、競技復帰を目指したが足の怪我のために断念した。[9]コーチ不在の状態で[10]2012年12月にカナダ選手権の予選会であるスケートカナダチャレンジにて競技復帰、カナダ選手権には6年ぶりに出場し11位。
Remove ads
主な戦績
詳細
Remove ads
プログラム使用曲
Remove ads
出典
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads