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エンダーのゲーム (映画)
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『エンダーのゲーム』(Ender's Game)は、オースン・スコット・カードによる同名の小説を原作とした2013年のアメリカ合衆国のSFアクション映画。監督・脚本はギャヴィン・フッドが務め、エイサ・バターフィールドが主人公のエンダー・ウィッギンを演じる。他にハリソン・フォード、ベン・キングズレー、アラミス・ナイト、ヘイリー・スタインフェルド、ジミー・ピンチャク、ヴィオラ・デイヴィス、アビゲイル・ブレスリンが共演する。日本では、映画配給の英語に『Distributed by BUENA VISTA INTERNATIONAL』で表記される作品としては本作が最後である。『ニード・フォー・スピード』以降は『Distributed by WALT DISNEY STUDIOS MOTION PICTURES INTERNATIONAL』が表記される。
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キャスト
※括弧内は日本語吹替[7]
- アンドリュー・“エンダー”・ウィッギン - エイサ・バターフィールド[8](逢坂良太)
- ハイラム・グラッフ大佐 - ハリソン・フォード[9](磯部勉)
- ペトラ・アーカニアン - ヘイリー・スタインフェルド[10](佐藤聡美)
- ヴァレンタイン・ウィッギン - アビゲイル・ブレスリン[9][10](白石涼子)
- メイザー・ラッカム - ベン・キングズレー[11](麦人)
- グウェン・アンダースン少佐 - ヴィオラ・デイヴィス[12](斉藤貴美子)
- ビーン - アラミス・ナイト[9](沢城みゆき)
- アーライ - スラージ・パーサ[9](桑島法子)
- ボンソー・マドリッド - モイセス・アリアス[9](内山昂輝)
- ディンク・ミーカー - カイリン・ランボ[9](木村昴)
- ピーター・ウィッギン - ジミー・ピンカク[9](阪口周平)
- ダップ軍曹 - ノンソー・アノジー[13](乃村健次)
- バーナード - コナー・キャロル[9](田谷隼)
- スティルソン - カレブ・J・タガード[14]
- ジョン・ポール・ウィッギン - スティーヴィー・レイ・ダリモア[13](志村知幸)
- テレサ・ウィッギン - アンドレア・パウエル[13](田中敦子)
- フライ・モロ - ブランドン・スー・フー[11](朝比奈拓見)
- シャムラジナガル提督 - トニー・マーカンダニ(大友龍三郎)
- パイロットの声 - オースン・スコット・カード[15](カメオ出演)
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製作
企画
1985年に『エンダーのゲーム』が出版されて以来、オースン・スコット・カードは映画化権とアーティスティック・コントロールを保有していた。カードによると、1980年代と1990年にハリウッドのスタジオに売る機会はいくつかあったが、創造性の違いにより断念された[16]。1996年にカードが共同設立したフレスコ・ピクチャーズの下で彼自身が脚本を書く事となった[17]。
2003年に脚本はワーナー・ブラザースに提出され、調整のためにデイヴィッド・ベニオフとD・B・ワイスが雇われ、さらにウォルフガング・ペーターゼンが監督に指名された。だがその4年後、カードはそれまでのどの脚本にも基づかない新たな脚本を執筆した[18]。
2009年2月、カードはオッド・ロット・エンターテインメントで脚本が完成し、製作チームを集め始めていることを発表した[19]。2010年9月、ギャヴィン・フッドがプロジェクトに着手し、脚本と監督の両方を務めることが発表された[20][21]。2010年11月、カードは映画のストーリーが『エンダーのゲーム』と『エンダーズ・シャドウ』を融合させたものであり、両方の重要な要素に焦点が当てられると述べた[22]。2011年11月28日、ロベルト・オーチーとアレックス・カーツマンがプロデューサーを務めることが発表された[23]。
2011年4月28日、サミット・エンターテインメントはデジタル・ドメインと共に[24]配給権を獲得した[25]。ギャヴィン・フッドは自身が執筆した脚本を使って監督する[20][21]。撮影監督はドナルド・マカルパインが務める[26]。クリエイティブ・プロデューサーはK/Oペーパー・プロダクツのロベルト・オーチーとアレックス・カーツマン、ファイナンシャル・プロデューサーはジジ・プリッツカーとリンダ・マクドナフが務める[27]。他に15年以上にわたってカードと共に映画化企画に取り組んでいたチャートフ・プロダクションズのリン・ヘンディー[28]とロバート・チャートフがプロデューサーを務める[8][29]。ブリガムヤング大学の新聞『The Universe』のインタビューでカードは自身が初期段階でプロデューサーを務め、脚本は100%フッドのものであると述べた[28]。
撮影
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封切り
日本では2014年1月18日に全国474スクリーンで公開された。全国映画動員ランキング(興行通信社調べ)では初登場9位で、公開初週の土日2日間で成績は動員5万3,748人、興収6,898万9,350円となった[32]。
参考文献
外部リンク
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