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オペラシチー
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オペラシチー(Opera City、2001年4月16日 - 2021年3月2日)は日本の競走馬。主な勝ち鞍は2005年の目黒記念。2004年の菊花賞では3着に入っている。
馬主は一口馬主の友駿ホースクラブであるが、単独での募集はされず、他馬への出資1口に付き、オペラシチー1口分(8000分の1)が無料で提供された。
馬名の意味は、父名の一部+冠名。
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経歴
3歳(2004年)
2004年2月に小倉競馬場でデビューし、オリビエ・ペリエを鞍上に単勝1.1倍の断然人気に応え3.1/2馬身差で勝利。その後は佐藤哲三とのコンビで休養明けの500万下条件戦に勝つと、1000万下条件戦ではレコードタイムで勝利し、デビュー3連勝とした。無敗での重賞制覇が懸かった朝日チャレンジカップでは単勝2番人気に支持されたが、直線で伸び切れず、スズカマンボの7着に敗れる。続く菊花賞では単勝6番人気に甘んじたが、直線で伸び脚を見せ3着と健闘し、テイエムオペラオー・メイショウサムソンを輩出したオペラハウス産駒らしく、初の長距離戦でも適性を見せた。
4歳(2005年)
2005年初戦の1600万下条件戦は単勝1番人気に応え勝つが、続く日経賞・メトロポリタンステークスはともに3着に敗れた。しかし、目黒記念では直線での3 - 4頭の叩き合いをクビ差制し、2度目のレコードで重賞初制覇を飾る。続く札幌記念でも単勝1番人気に支持されるが、雨の影響か伸びず、ヘヴンリーロマンスの7着に敗れた。
3ヶ月ぶりのレースとなった京阪杯(京都)では、終始先行して最後の直線に入ったが、そこから伸びず11着に敗れ、続く有馬記念でも直線での不利もあって14着と大敗する(レースに関する詳細は第50回有馬記念を参照)。なお、佐藤が京阪杯と同日に東京競馬場で行われたジャパンカップダートでサンライズバッカスに、有馬記念ではタップダンスシチーに騎乗したため、この2戦は中舘英二に乗り替わりとなった。
5 - 6歳(2006 - 2007年)
2006年の初戦となったアメリカジョッキークラブカップでは3戦ぶりに佐藤とコンビを組み、レースでは離れた3番手を追走したが、直線では全く伸びず、0.9秒差の5着に終わる。続くダイヤモンドステークスでは終始2番手を先行するも直線でバテてしまい、デビュー以来最も離された2.7秒差の10着に敗れる。2005年の夏以降、5戦続けて見せ場を作れないまま敗れるなど精彩を欠き、休養に入っていたが、放牧先で骨折したため現役を引退することとなり、2007年2月15日付でJRAの競走馬登録を抹消された[1]。
引退後
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競走成績
要約
視点
以下の内容は、netkeiba.comの情報[4]に基づく。
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血統表
オペラシチーの血統サドラーズウェルズ系 / Nasrullah4×5=9.375%(母内)、Lalun5×4=9.375%、Nearco5×5=6.25% | (血統表の出典) | |||
父 *オペラハウス Opera House 1988 鹿毛 イギリス |
父の父 Sadler's Wells 1981鹿毛 アメリカ |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Fairy Bridge | Bold Reason | |||
Special | ||||
父の母 Colorspin 1983鹿毛 イギリス |
High Top | Derring-Do | ||
Camenae | ||||
Reprocolor | Jimmy Reppin | |||
Blue Queen | ||||
母 シャルムマイヤー 1990 鹿毛 北海道浦河町 |
*ブレイヴェストローマン Bravest Roman 1972 鹿毛 アメリカ |
Never Bend | Nasrullah | |
Lalun | ||||
Roman Song | Roman | |||
Quiz Song | ||||
母の母 キョウエイシェアー 1978芦毛 北海道浦河町 |
*フォルティノ | Grey Sovereign | ||
Ranavalo | ||||
*グリーンパスチャーズ | Palestine | |||
Comedy F-No.10-b |
脚注
外部リンク
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