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カルロス・アルベルト・ソーザ・ドス・サントス
ブラジルのサッカー選手 ウィキペディアから
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サントスことカルロス・アルベルト・ソーザ・ドス・サントス(Carlos Alberto Souza dos Santos、1960年12月9日 - )は、ブラジル・ゴイアス州出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF(ボランチ)。
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経歴
要約
視点
アントラーズ
ボタフォゴではキャプテンを務めていたが[1]、ジーコの少ない運動量をカバーしサポート出来る存在として1992年に鹿島アントラーズに加入した[1]。1993年5月29日のガンバ大阪戦でJリーグ初ゴール[2]、6月5日横浜マリノス戦[3]、6月23日ヴェルディ川崎戦[4]、6月26日ガンバ大阪戦[5] でそれぞれゴールを決め、アルシンドと並びチームのファーストステージ優勝の最大の立役者となった[6]。リーグ戦では年間32試合8ゴールを決め、初代Jリーグベストイレブンに選出された[7]。アントラーズではジーコ不在時にキャプテンを務めた。同年7月17日にはJリーグオールスターサッカーに先発出場した[8]。1994年5月18日、第17節の名古屋グランパスエイト戦でのゴールは[9]アントラーズのJリーグ通算100ゴール目のメモリアルゴールとなった。1995年シーズンのアントラーズは、これまで在籍していたレオナルドに加え、ジョルジーニョを獲得、更にセカンドステージからモーゼル、マジーニョが加わることになると戦力外通告を受け、退団が決まった中、鹿島ホームでのファーストステージ最終戦となった、7月19日のベルマーレ平塚戦ではPKで得点を挙げ、鹿島でのラストを飾った[10]。
エスパルス
元アントラーズ監督で当時清水エスパルスの監督を務めていた、宮本征勝が獲得を希望し、エスパルスへ移籍[11][10]、5シーズン半プレーした。1996年にはリーグカップ決勝のヴェルディ川崎戦では前半に1ゴールを決め、PK戦でもPKを成功させて勝利[12]、清水の初タイトルとなるナビスコ杯優勝に貢献し[13]、 ナビスコ杯最優秀選手賞を受賞した[14]。1998年も安定してプレーで週刊サッカーマガジン選出の年間ベストイレブンに選出された[15]。1999年はセカンドステージ制覇に貢献したが、チャンピオンシップ、ジュビロ磐田との第2戦の延長PK戦でファビーニョと共にPKを失敗、チームは年間優勝を逃した。2000年、アジアカップウィナーズカップで優勝、この年のリーグカップ2回戦のヴィッセル神戸戦の第2戦では、スティーブ・ペリマン監督からFWとして起用され、2得点を決めたこともあった[10]。在籍中、2023年シーズンまでにチームに在籍した外国人選手とては最多となる160試合に出場した[16]。
その後
2001年からはヴィッセル神戸で1シーズンプレー、41歳まで現役を続け、2009年に三浦知良に塗り替えられるまでJリーグ最年長の記録だった[17]。Jリーグ通算265試合33ゴール、Jリーグカップでは55試合10ゴールの成績を残した[2]。2003年にザスパ草津でプレーし、JFL昇格に貢献し引退。同年には長年に渡るJリーグへの功績が評価され、Jリーグ功労選手賞を受賞した。
引退後は清水エスパルスやアルビレックス新潟のコーチを歴任した[18]。2017年以降は、リオデジャネイロのセッチ・ジ・アブリウで監督を務めていて、ブラジルサッカー連盟の公式ライセンスであるAライセンスも取得している。夢は日本のクラブで監督を務めることだとしている[19]。
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プレイスタイル等
鹿島では、ややジーコやアルシンドの影に隠れがちであったが[20]、驚異的なまでの運動量で幅広くピッチを動き[21][22]、攻守に渡ってチームを献身的に支えた[1]。ボランチとして隙がなく、DF陣全体をコントロールするなど[15]、キャプテンシーにも優れ[21]、鉄人と呼ばれていた[23]。
鉄人という名称で呼ばれていたことについて、その名称は自分のプレースタイルから来たのだと思うが、鉄人という名前を付けて用いてくれた人のおかげで、より鉄人らしく強くなれた、初めに鉄人という名称を使ってくれた人に会ってみたいと、エスパルス30周年記念本のインタビューで語っていた[11]。
所属クラブ
個人成績
その他の公式戦
- 1993年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1996年
- サントリーカップ 1試合0得点
- 1999年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
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タイトル
チーム
- アントラーズ
- Jリーグ1stステージ優勝 : 1993
- エスパルス
個人
代表歴
指導歴
- ザスパ草津選手兼コーチ(日本) 2003年
- エスタシオ大学サッカー部監督(ブラジル)2004年
- 清水エスパルスヘッドコーチ(日本)2005年
- アルビレックス新潟コーチ (日本) 2011年
- アングラ・ドス・レイスEC監督(ブラジル) 2015年
- 7 de Abril監督(ブラジル) 2017年 -
脚注
関連項目
外部リンク
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