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クマ・エルハジ・ババカル
セネガルのサッカー選手 ウィキペディアから
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クマ・エル・ハッジ・ババカル(Khouma El Hadji Babacar, 1993年3月17日 - )は、セネガル・ティエス出身のサッカー選手。セネガル代表。FCコペンハーゲン所属。ポジションはフォワード。
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経歴
要約
視点
クラブ
ユース時代
2005年に出身地ティエスを本拠地とするUSライユにてサッカー選手としてのキャリアをスタートする。2007年夏、ババカルが14歳のときにイタリアのクラブペスカーラに移籍するために渡伊。1年後の2008年7月にはACFフィオレンティーナの下部組織に移籍する[4]。
フィオレンティーナ
下部組織
移籍初年度の2008-09シーズンにフィオレンティーナのアッリエーヴィにおいて全国大会で優勝し[5]、レアル・マドリード、FCバルセロナ、マンチェスター・ユナイテッドFC、チェルシーFCのスカウト陣の注目を集める[6][7]。同シーズンはアッリエーヴィの1つ上のカテゴリであるプリマヴェーラにも15歳ながら飛び級で所属し、掛け持ちで出場したトルネオ・ディ・ヴィアレッジョでは得点を決め、その活躍とプレースタイルからイタリアの全国スポーツ紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」には将来のディディエ・ドログバ、ヴィオラのマリオ・バロテッリ[8]と賞賛された。
トップチーム
2009年のプレシーズンに初めてトップチームの練習に参加。チェーザレ・プランデッリ監督やチームメイトのセバスティアン・フレイらに「下部組織に非常に興味深い選手がいる」と印象付ける。その後、16歳でクラブとプロ契約を交わし、UEFAチャンピオンズリーグの登録メンバーにAリスト選手として選出される[9]。2010年1月14日に行われたコッパ・イタリアでの対ACキエーヴォ・ヴェローナ戦にて、16歳にしてトップチームデビュー及び、プロ公式戦デビューを果たす。デビュー戦の後半30分にはマヌエル・パスクアルが放った直接フリーキックがババカルに当たりコースが変わり得点も記録する。チームの3-2の勝利に貢献し、プレー内容とともに上々のデビューとなった。同年2月27日にはアウェイで行われた対SSラツィオ戦にてマリオ・ボラッティとの交代でリーグ戦に出場、16歳でセリエAにデビューを果たした[10]。続く3月13日のアウェイで行われた対SSCナポリ戦では途中出場ながら勝ち越し点の起点となり、さらに終了間際には相手ゴールキーパーのモルガン・デ・サンクティスが上がっているのを見逃さす、50メートルほど離れた無人のゴールにボールを流し込みステヴァン・ヨヴェティッチへのアシストを記録した[11]。初アシストを記録した翌試合の対ジェノアCFC戦では17歳と3日でセリエA出場2試合目にして初得点をあげる。3月20日に行われた同試合で終了間際の後半35分にアルベルト・ジラルディーノと交代で出場すると、その6分後である後半41分に後方からのロングパスを相手ディフェンダーと競り合いながらもキープし、ゴールキーパーとの1対1を制しコースを突くゴールを決めた[12]。
2010年7月13日には、フィオレンティーナと2015年までの契約を延長することで合意した[13]。シニシャ・ミハイロヴィッチが監督就任後は背番号9番を任された[14]。
ラシン、パドヴァへのレンタル、モデナでの活躍
2012年1月31日、ラシン・サンタンデールにレンタル移籍した。 2012年7月11日、カルチョ・パドヴァにレンタル移籍した。 2013年8月11日、モデナFCへレンタル移籍[15]。モデナではレギュラーFWとして活躍し、セリエBのリーグ戦において39試合出場、得点はリーグ3位となる20得点を記録した。出場試合数、得点数共にチームトップの数字であり、この活躍からレンタル元であるフィオレンティーナがレンタルバックを求める事になった[16]。
再びフィオレンティーナへ
2014年6月20日にフィオレンティーナ復帰[16]。2014-2015シーズンは途中怪我により離脱したものの、リーグ戦において20試合出場、7得点をあげる。10月5日の対インテル戦ではゴールから30メートルの距離からゴールを決め、セリエAにおいても通用しうるポテンシャルを印象づけた。 2015年7月14日にフィオレンティーナと5年 (2020年まで) の契約延長にサインした事をクラブCEOのアンドレア・ロッグが公式発表し[17]、年俸150万ユーロと報道された[18]。 2016-17シーズン4月22日のインテル戦で先発すると2ゴールを決め5-4での勝利に貢献した。2016-17シーズンはセリエA10得点を記録した[19]。2019-20シーズンはサッスオーロからレッチェへレンタル移籍した。
代表
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人物
ACFフィオレンティーナの下部組織において特筆すべき活躍をし、国内外のスカウトの注目を浴びる選手[6]。イタリアのメディアからは新たなディディエ・ドログバとも呼ばれ[7]、フィジカルと身体能力の高さを活かし、豊富な得点パターンを持つセンターフォワードである[1]。両足を遜色なく使い、ポストプレーにも優れる[1][3]。本人も憧れているディディエ・ドログバやヌワンコ・カヌのように強靭な体躯と高いテクニックを併せ持つが、同時に、トップチームに引き上げたプランデッリ監督からは「少々ボールを持ちすぎる」[21]と指摘されていた。
エピソード
個人成績
- 2010年1月14日 - プロ初出場 - キエーヴォ戦(スタディオ・アルテミオ・フランキ (フィレンツェ))
- 2010年1月14日 - プロ初得点 - キエーヴォ戦(スタディオ・アルテミオ・フランキ (フィレンツェ))
- 2010年2月27日 - セリエA初出場 - ラツィオ戦(スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ)
- 2010年3月13日 - セリエA初アシスト - ナポリ戦(スタディオ・サン・パオロ)
- 2010年3月20日 - セリエA初得点 - ジェノア戦(スタディオ・アルテミオ・フランキ (フィレンツェ))
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獲得タイトル
- 2009年 カンピオナート・アッリエーヴィ・ナツィオナーリ 優勝
脚注
外部リンク
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