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ケイエスヨシゼン

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ケイエスヨシゼン[1]とは日本アングロアラブ競走馬種牡馬。主な勝ち鞍に1996年兵庫アラブ三冠菊水賞楠賞全日本アラブ優駿六甲盃)、西日本アラブダービータマツバキ記念名古屋杯1997年1999年兵庫大賞典、1997年の山陽杯、1998年新春賞、1998年と1999年の西日本アラブ大賞典、2000年摂津盃など。1996年のNARグランプリ年度代表馬に選出された。

概要 ケイエスヨシゼン, 品種 ...
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概要

1995年7月19日、姫路競馬場での新馬戦でデビューし、1着。3歳時は8戦5勝も、市川賞、園田ジュニアカップはともにテンリライダーの2着に終わるも、翌年の有望株の一頭に推されるようになる[2]。翌1996年、初めの3戦を1勝2着1回3着1回としたあと、兵庫アラブ三冠路線に向かい、一冠目の菊水賞は追わずに勝利、二冠目の楠賞全日本アラブ優駿は前哨戦不成立で調子が完全でなかったにもかかわらず勝利[2]。8月の摂津盃、9月の大阪スポーツ賞と2戦連続2着ののち、六甲盃でテンリライダーを1秒2差下して、1970年アサヒマロツト以来史上2頭目の兵庫アラブ三冠馬となった[2]。加古川くつした特別2着を経て他地区への遠征を行い、福山競馬場西日本アラブダービー名古屋競馬場タマツバキ記念名古屋杯を連勝[2]。1996年のNARグランプリ年度代表馬およびアラブ系4歳最優秀馬に選ばれた[2]

1997年は、上半期は初戦の日刊スポーツ賞、佐賀競馬場に遠征しての西日本アラブ大賞典と2戦連続2着ののち、特別レース1着から兵庫大賞典、福山の山陽杯と重賞を連勝。下半期は特別レース1勝にとどまって重賞は摂津盃とタマツバキ記念山陽杯での2着が最高着順だった。1998年は初戦の新春賞で1歳下のニホンカイユーノス、ヤングメドウを退けて優勝。続く特別レースでニホンカイユーノスを再び退け、佐賀での西日本アラブ大賞典を制して3連勝を記録。園田に戻ったあとは兵庫大賞典と12月の園田金盃での2着があったものの、1998年中は4月以降勝利がなかった。1999年、初戦の新春賞は4着に終わったものの、続くウインターカップを勝って佐賀の西日本アラブ大賞典を連覇。5月には兵庫大賞典2勝目を挙げる。1999年の下半期は、タマツバキ記念山陽杯と園田金盃で2着のほかオープン特別で1勝を挙げるにとどまる。2000年に入り、上半期はオープン特別で1勝を挙げたのみであったが、下半期には摂津盃でシャインマンリーと同着優勝を果たした。次戦の特別レースで勝ったあとは勝ち星を挙げることはなく、2001年7月のサマーカップ9着が最後の競馬となって12月に引退式を執り行い[2]、12月31日付で登録が抹消された[3]

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競走成績

要約
視点

以下の内容は、JBISサーチ[5]地方競馬全国協会[3]に基づく。

さらに見る 年月日, 競馬場 ...
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引退後

現役を退いた後は種牡馬となり、3年間の供用で血統登録頭数14頭、出走頭数はそのうちの13頭を記録した[6]。種牡馬としての供用を終えた後の2006年に死亡した[2]

血統表

ケイエスヨシゼン血統「アア」表記はアングロアラブ種 「アラ」表記はアラブ種 「*」が付された馬名はシャギアギドランサラ系(血統表の出典)[§ 1]

アア ミスターヨシゼン
1984 鹿毛
父の父
アア キタノトウザイ
1976 栗毛
アア スカレー アア エルシド El Cid
アア トモスカツプ
アア イナリトウザイ サラ Karim
アア タクマサル
父の母
アア ヨシゼン
1971 鹿毛
アア センジユ アア 方景
アア イースタン
アア ヨシハート アア マツギク
サラ ハートフジ

アア ミスマルセイユー
1982 鹿毛
アア トスター
Tostar
1973
サラ Star サラ Soleil Levant
サラ Serena
アア Toscane アラ Djerba Oua
アア Traviata
母の母
アア テツホマレ
1965
アア セイユウ サラ Rising Flame
アア 弟猛
アア トキカネ サラ トシシロ
アア 明美 ゴンパスギドラン七系
5代内の近親交配 バラツケー 5 × 5 = 6.25% [§ 2]
出典
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注釈

外部リンク

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