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ミスターヨシゼン
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ミスターヨシゼン[1]は日本のアングロアラブ種競走馬、種牡馬。主な勝ち鞍に1988年と1989年の全日本アラブ大賞典、1987年のアラブダービー、アラブ王冠賞、1988年のワード賞、1989年の銀盃。
![]() | この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
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競走馬時代
- 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[3]
1986年11月27日、大井競馬場の3歳戦でデビューし、2着に9馬身差を付けて1着。その後休養し、翌1987年3月に復帰して2勝したのち南関東アラブ三冠の第一冠千鳥賞は5着に終わったものの、アラブダービーとアラブ王冠賞を勝って二冠を達成。年末の全日本アラブ大賞典はローゼンホーマの10着に終わり、5歳を迎えて最初の2戦も4着、5着と振るわなかったが、6月の渋谷特別を勝って朝凪賞、重賞のワード賞、約3か月の休養を経て臨んだ小岩特別まで4連勝を達成。勝島賞は3着も[4]、2度目の出走となる全日本アラブ大賞典は逃げの手に出て[4]、2番手を追走していたオタルホーマーを振り切って4馬身差を付けて優勝を果たす[4]。1989年は初戦の銀盃では2着に5馬身差を付けて勝ったが、船橋記念とワード賞では2着。秋はサラブレッドを相手に2戦し、9月の東京盃では3着となり[5]、10月のおおとり賞では優勝[5]。3年連続出走の全日本アラブ大賞典も逃げ切って連覇を達成し、連覇を花道に引退した[5]。6歳時は7戦し4勝を挙げ、獲得した賞金の合計は5606万円に達して、1989年の地方競馬のアラブ系部門でもっとも多くの賞金を獲得した競走馬ともなった[6]。
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競走成績
要約
視点
以下の内容は、JBISサーチ[3]に基づく。
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引退後
競走馬引退後に北海道門別町で種牡馬となり[5]、2002年までの13年間の供用で、636頭の産駒を送り出した[7]。
主な産駒
血統表
ミスターヨシゼン の血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父 アア キタノトウザイ 1976 栗毛 |
父の父 アア スカレー1969 鹿毛 |
アア エルシド El Cid | アア Nithard | |
アア Farida | ||||
アア トモスカツプ | アア トモスベビー | |||
アア カツプフォード | ||||
父の母 アア イナリトウザイ1971 鹿毛 |
サラ Karim | サラ Nearco | ||
サラ Skylarking | ||||
アア タクマサル | サラ ヒシマサル | |||
アラ 啄斗 | ||||
母 アア ヨシゼン 1971 鹿毛 |
アア センジユ 1977 鹿毛 |
アア 方景 | サラ Asford | |
アア 影英 | ||||
アア イースタン | アア Barraques | |||
アア 梅橋 | ||||
母の母 アア ヨシハート1958 鹿毛 |
アア マツギク | アラ ニーフアン | ||
サラ 玄香 | ||||
サラ ハートフジ | サラ アサフジ | |||
サラ フォードガット | ||||
母系(F-No.) | (FN:14) | [§ 2] | ||
5代内の近親交配 | 方景 5 × 3 = 15.63%、アスフオード・プリメロ 4 × 5 × 5 = 12.50%、ニーフアン 5 × 4 = 9.38% | [§ 3] | ||
出典 |
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脚注
外部リンク
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