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サディスティック・ミカ・バンド

日本のロックバンド (1972-1975) ウィキペディアから

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サディスティック・ミカ・バンド(Sadistic Mika Band)は、日本ロックバンド。1972年デビュー。1974年には2ndアルバム『黒船』を英米でも発表し、1975年10月にはイギリスで高い人気を誇っていたロキシー・ミュージックの国内ツアーの前座を務めた[2]。同年解散したが、これまでに3度、ゲスト・ボーカリストを迎えて再結成された。

概要 サディスティック・ミカ・バンド, 別名 ...

バンド名はジョン・レノンが結成したプラスティック・オノ・バンドの名をもじった。初代ボーカリストのミカの包丁使いがあまりにサディスティックだったことに由来する[3]

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来歴

要約
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結成から解散まで

1971年11月、元ザ・フォーク・クルセダーズ加藤和彦ギターボーカル)、加藤ミカボーカル)、角田ひろ(ドラムス、現:つのだ☆ひろ)のメンバーで結成される。そこに高中正義リードギター)が加入し、1972年にシングル『サイクリング・ブギ』でデビュー。

まもなく角田が自分のバンドを結成する為に脱退する。大口広司の一時加入を経て、高橋幸宏が加入し、高橋に誘われて小原礼ベース)も加入した。

1973年5月1日、日本武道館でラブ・ジェネレーション・ライブ・コンサートを開催。

1973年5月5日、1stアルバム『サディスティック・ミカ・バンド』を発表。小田和正がサポート・メンバーとしてピアノを弾いた。イギリスでもハーヴェスト・レコードから発売。国内では発売当初数千枚しか売れなかったが、イギリス、特にロンドンで評判となり逆輸入という形で評価されるようになった[要出典]

泉谷しげるのアルバム『光と影』に『加藤和彦とサディスティック・ミカ・バンド』名義で参加した。

1974年、キャロルとのジョイントツアー、日比谷野外音楽堂のロックコンサート、8月10日、福島県郡山市で開催されたワンステップ・フェスティバルに参加。

1stアルバムを聴いたイギリスの音楽プロデューサーのクリス・トーマス[注釈 1]からプロデュースの申し出を受け、彼を迎えて2ndアルバム『黒船』を制作。1stアルバムにサポートで参加していた今井裕キーボードサックス)が正式に加入した。このレコーディングには実に600時間が費やされた[4]。11月に発表[注釈 2]

トーマスがプロデュースしたバッドフィンガーのアルバム『素敵な君』(1974年)の収録曲'Know One Knows'に、ミカが日本語の語り手として参加。

その後、小原礼が脱退し、後藤次利が加入。

1975年7月19日、後楽園球場で行われた『サマーロックフェス』に出演。9月21日、神田共立講堂でライブ。10月2日から23日まで、ロキシーミュージックのイギリス・ツアーのオープニングアクトを務めた[2][5][注釈 3]。10月7日にはBBCの音楽番組『オールド・グレイ・ウィッスル・テスト』 に出演して、「WA-KAH! CHICO」 と「塀までひとっとび」[注釈 4]を演奏。11月、3rdアルバム『HOT! MENU』[注釈 5] をリリースと同時に、加藤和彦とミカの離婚によりサディスティック・ミカ・バンドは解散。予定されていたプロモーション活動も凱旋ツアーもすべてキャンセルされた。

解散後の活動

解散後、今井裕、後藤次利、高中正義、高橋幸宏の4人でサディスティックスとして活動するも、1978年頃には自然消滅した。

1985年、加藤和彦、高中正義、高橋幸宏、後藤次利に坂本龍一松任谷由実を加えた「サディスティック・ユーミン・バンド」(Sadistic Yuming Band)として、国立競技場で開催された国際青年年の記念音楽イベント「ALL TOGETHER NOW」に出演。各アーティストの代表曲のメドレーと「タイムマシンにおねがい」、更にボーカルに小田和正財津和夫を加え、松任谷・小田・財津のコラボレーション曲「今だから」を披露した。

1989年、加藤和彦、高中正義、小原礼、高橋幸宏の4人に桐島かれん(ボーカル)を加えてSadistic Mica Band(ミカの表記が下線のとおり変更)として再結成。アルバム『天晴』を発表。先行シングル『Boys & Girls』は、表題曲がマツダ・ファミリアCMソングになり、オリコン13位を記録。サディスティック・ミカ・バンドとしては唯一のオリコントップ100入りシングルとなっている。また、このメンバーで東京ベイNKホールで2日間ライブが行われ、後にライブ・アルバム『晴天』として発表。

1992年には、アニメ『まぼろしまぼちゃん』のOP曲に3rdシングル「タイムマシンにおねがい」(1974年発表)、ED曲に「サイクリング・ブギ」が使われ、同年の6月17日に「サイクリング・ブギ」をカップリングに収録したCDシングルとして再発売される。

再々結成

2006年、加藤和彦、高中正義、小原礼、高橋幸宏の4人に木村カエラ(ボーカル)を加えて、Sadistic Mica Band Revisitedとして再々結成。このメンバーでキリンラガービールのテレビCMに出演し、CMには新しく録音された「タイムマシンにおねがい」が使用された。フルバージョンで聴きたいという希望が多かった(CMではサビの部分が使用された)為[要出典]着うたインターネットで音楽配信されることが決定。iTunes Music Storeの配信ランキングで1位を獲得するなど記録を残した。

2006年8月30日、ライブ形式の無料MV撮影会を行う。10月25日にアルバム『NARKISSOS』を発表。アルバムはほぼ一発録りでレコーディングされた[6]。この際に、バンド名のアルファベット表記を、カエラの名前を入れたSadistic Mikaela Band(カナ表記はそのまま)としている。

2007年3月8日、NHKホールにおいて、サディスティック・ミカ・バンド名義としては18年ぶりのライブを行った。木村カエラがボーカルとして参加、アンコールに木村カエラや小原礼と親交が深い奥田民生がゲストとして登場。同年秋には、このライブの映像を含むドキュメンタリー映画『サディスティック・ミカ・バンド』(監修:井筒和幸)が公開された。ライブの模様が収録されたアルバム『LIVE in Tokyo』では表記がSadistic Mica Bandと、桐島かれん在籍時と同じものになっている(本作では桐島かれん在籍時音源は無い)。ボーナスディスクとして1975年の神田講堂でのSadistic Mika Bandの音源が収録されている。

以降、個々の親交はあったものの、バンド活動は行われないまま、2009年10月に中心人物であった加藤和彦、2023年1月にドラムスの高橋幸宏が死去。

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在籍したメンバー

(期数・メンバー名については1987年に発売された「20 SONGS TO 21ST CENTURY」の小倉エージの解説を元に、「ミカのチャンスミーティング」(1988年版/JICC刊)などにより補足)

  • 第1期(1971年11月 - 1972年9月) シングル「サイクリング・ブギ」
  • 第2期(1972年9月 - 1973年10月) アルバム『サディスティック・ミカ・バンド』
  • 第3期(1973年11月) シングル「ハイ・ベイビー」
    • 加藤和彦・ミカ・高橋幸宏・小原礼
  • 第4期(1973年末) この時期の音源なし
    • 加藤和彦・ミカ・高橋幸宏・小原礼・永井充夫
  • 第5期(1974年2月頃 - 1975年6月) アルバム『黒船』
    • 加藤和彦・ミカ・高橋幸宏・小原礼・今井裕・高中正義
  • 第6期(1975年6月頃) この時期の音源なし(ただし、テレビ出演の映像あり)
    • 加藤和彦・ミカ・高橋幸宏・今井裕・高中正義・ジャック松村
  • 第7期(1975年7月~1975年11月) アルバム『HOT! MENU』『ライブ・イン・ロンドン』
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ディスコグラフィ

要約
視点

シングル

※1stから5thまではレコード盤でのリリース。

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オリジナル・アルバム

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ライブ・アルバム

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ベスト・アルバム

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ボックス・セット

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参加作品

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書籍

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映像作品

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タイアップ

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映画

脚注

関連項目

外部リンク

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