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高橋幸宏

日本のミュージシャン (1952-2023) ウィキペディアから

高橋幸宏
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高橋 幸宏(たかはし ゆきひろ、1952年昭和27年〉6月6日[1] - 2023年令和5年〉1月11日[2][3])は日本シンガーソングライタードラマー音楽プロデューサーファッション・デザイナー文筆家

概要 たかはし ゆきひろ高橋 幸宏, 基本情報 ...

ソロ・デビューした1978年から1980年代前半までは「高橋ユキヒロ」の名義を使用していた。

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人物

立教中学校(現・立教池袋中学校)・立教高等学校(現・立教新座高等学校)卒業(高校の3年後輩に佐野元春がいる)。武蔵野美術大学短期大学部生活デザイン科中退。

高校在学中からスタジオ・ミュージシャンとして活動。「サディスティック・ミカ・バンド」や「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO) のメンバーとしての活動が有名。その他、鈴木慶一と共に結成した「ビートニクス」、細野晴臣とのユニット「スケッチ・ショウ」としての活動を始め、様々なミュージシャンとのコラボレーションやプロデュースも手掛けている。山本耀司パリ・コレ出展の際の音楽を担当したり、椎名誠が監督を務めた映画の音楽を担当したこともある。ドラマーとして、その厳格なまでに正確なリズムと少ない音数で多彩な表現を可能とする独特のタイトな演奏は、特にYMO世代のミュージシャン達から高くリスペクトされている。

音楽活動の他に、これまでに「Brother」(BUZZ SHOP CO.)、「Buzz Brother」(BUZZ SHOP CO.)、「Bricks」(BUZZ SHOP CO.)、「Bricks Mono」(PLAN・NET-WERK CO.)、「YUKIHIRO TAKAHASHI COLLECTION」(WAG Inc.) といった自身のファッション・ブランドのデザイナーも務めている。1983年(昭和58年)には、『オールナイトニッポン』のパーソナリティを務めた。その他、映画CMへの出演、エッセイの発表など、その活動は多岐に渡っている。映画『四月の魚』では主演を務めた。俳優の竹中直人と交流が深く、『竹中直人の恋のバカンス』、『デカメロン』などに出演した際には、シュールなコントに挑戦している。

趣味は釣り神経症の治療のために始めたものだが、以来すっかり夢中になってしまい、ラジオ番組で中継を行ったこともある。釣り同好会「東京鶴亀フィッシングクラブ」(旧:東京鶴亀磯釣り会)の会長である。

最晩年まで長野県軽井沢町に在住していた。軽井沢には親族が別荘を所有していたこともあり幼少期から頻繁に足を運んでいた。細野晴臣との出会いも軽井沢の「三笠ホテル」であった。

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略歴

要約
視点

1952年(昭和27年)、東京に生まれる。小学校5年生頃にはすでにドラムを叩いていた。立教中学校(現立教池袋中学校)時代、同級生の東郷昌和とバンド「ブッダズ・ナルシィーシィー」を結成、主にパーティー等で活動していた(後に東郷は高橋の兄・信之のプロデュースでフォークグループ「バズ」としてデビューする)。荒井由実とは立教中学校当時からの友人。高校在学中からスタジオミュージシャンとして活動を開始。1969年にフォークバンド「ガロ」のサポートメンバーとして加わる。しかし、『学生街の喫茶店』ヒット以後の歌謡曲路線に合わず、小原礼と共に脱退。

武蔵野美術大学短期大学部生活デザイン学科[4][5] 在学中の1972年(昭和47年)、加藤和彦の誘いを受け、脱退した角田ひろ(現:つのだ☆ひろ)の後任として「サディスティック・ミカ・バンド」に加入。ミカ・バンドは海外(とりわけイギリス)において評価され、1974年にはロキシー・ミュージックの全英ツアーにおいてオープニングアクトを務めた。帰国後、解散。

ミカ・バンド解散後、「サディスティックス」を経て、1978年(昭和53年)からはソロ活動を開始。同年「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO) を結成。1979年(昭和54年)から1980年(昭和55年)にかけて2度にわたるワールドツアーを敢行した。YMOは世界的な大成功を収め、日本のみならず世界の音楽シーンに多大な影響を与えた。高橋の作曲としては「ライディーン」が有名。結成当初、細野は「YMOのメンバーはヴォーカルを取らない(ゲスト・ミュージシャンに任せる)」という意向を持っていたが、坂本の推挽で高橋が「中国女」のボーカルを手がけたことにより、ボーカリストとしての才能も発揮。またファッション・デザインの才も発揮してYMOの衣装のデザインも手掛けた。高橋は当時、自身のブランド「Bricks」や「Bricks-MONO」のデザイナーだった。坂本龍一と初対面の際に、坂本のぞんざいな服装を見て「かっこいいのにもったいない」思ったという。1980年(昭和55年)には「POP THE HERO '80s」(ラジオ関東)のパーソナリティを(準レギュラーに当時のマネージャー伊藤洋一と共に)担当。ソロやYMOの活動の一方で、1981年(昭和56年)には鈴木慶一と「THE BEATNIKS(ビートニクス)」を結成し、活動を開始する。1982年(昭和57年)、個人事務所「オフィス・インテンツィオ」を設立。1983年(昭和58年)4月より、「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)のパーソナリティを担当。同年12月、YMO「散開」(解散)とともに放送終了。

YMO散開以降、ソロ活動を本格化させ、また「ビートニクス」としてもマイペースに活動。1989年(平成元年)には「サディスティック・ミカ・バンド」が桐島かれんを迎えて一時再結成。1992年(平成4年)3月には山本耀司、高橋信之、田中信一と共に、「AGENT CON-SIPIO」を設立。翌1993年(平成5年)には録音スタジオ「CONSIPIO STUDIO」とレコードレーベル「CONSIPIO RECORDS」を発足。同年2月、YMO「再生」(再結成)を発表し、東京ドームにてコンサートを行う。1997年(平成9年)には自らも「CONSIPIO RECORDS」に移籍したが、後に休眠状態となる。

2002年(平成14年)からは細野晴臣と共にユニット「スケッチ・ショウ」を結成、活動を開始する。2004年(平成16年)には「スケッチ・ショウ」+坂本龍一のユニット「ヒューマン・オーディオ・スポンジ (HAS)」として、エレクトロニカイベント「sonar」に出演。

2005年(平成17年)には再び東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン)と契約。翌2006年(平成18年)3月に7年ぶりのソロアルバム「BLUE MOON BLUE」をリリース。スケッチ・ショウで実践したエレクトロニカの手法を通過させた新機軸のポップ路線を展開した。アルバム発表後は高野寛高田漣権藤知彦を主要メンバーに迎え、ライブハウスからロックフェスまで、各地でライブを精力的にこなした。10月には恵比寿ガーデンホールで開催された「SONAR」への出演を交えながら、新宿ICC、仙台メディアテーク、東京都現代美術館の3箇所で「ミュージアムツアー」と称したライブを行い、インプロヴィゼーション中心のクオリティの高い演奏を披露した。

また同年、キリンラガービールのテレビCMとの連動企画で「サディスティック・ミカ・バンド」が木村カエラをボーカルに迎えて2度目の再結成。10月にはアルバムをリリースした。同じく2007年には同CMの企画でYMOが2度目の再結成。CMでは「ライディーン」のセルフカバー版「RYDEEN 79/07」を披露し、同時にネット配信を開始。5月にはチャリティ団体「Smile Together Project」主催のライブに(HASとして)出演、また7月には「ライヴ・アース」に出演。ワールドハピネスの主催。

2008年(平成20年)、新バンド「pupa」を、原田知世、高野寛、高田漣、権藤知彦、堀江博久と共に結成。同年7月2日にアルバム「floating pupa」リリースした。

2009年(平成21年)3月11日にはオリジナル・アルバムとしては22作目となるニュー・アルバム「Page By Page」がリリース。小山田圭吾をサポートに迎え、同年6月6日には3年ぶりのソロ・ライブ、7月には自ら「念願だった」というフジロック・フェスティバルに出演、10月にはフェス形式のライブハウス公演に登壇するなど単発的ながら充実のライブ活動を展開した。

2009年(平成21年)11月24日より、Twitterを利用。

2010年(平成22年)、pupaの2ndアルバムをリリース。

2012年(平成24年)12月22日、東京・渋谷のBunkamuraオーチャードホールにて高橋幸宏の還暦を記念するライブ「高橋幸宏 60th Anniversary Live」が開催された。

2013年(平成25年)9月12日、ユリイカ2013年10月臨時増刊号として「総特集◎高橋幸宏」が発売された。

2014年(平成26年)、新ユニット「高橋幸宏&METAFIVE」を、小山田圭吾、砂原良徳TOWA TEIゴンドウトモヒコLEO今井と共に結成。同年7月27日にLIVEアルバム「TECHNO RECITAL」リリースした。

2015年(平成27年)LOVE PSYCHEDELICOのツアーに帯同。高橋幸宏&METAFIVEをMETAFIVEに改める。

2020年(令和2年)8月31日、脳腫瘍の摘出手術を行ったことを公表[6]。手術は無事に成功し、後遺症も見られないという[7]

2022年(令和4年)6月6日、古希(70歳)を迎え、また、プロ活動50周年という節目の年であることを祝い、それを記念するライブ「高橋幸宏 50周年記念ライヴ LOVE TOGETHER 愛こそすべて」を、2022年9月18日にNHKホールにて行う予定であることを発表[8]、しかし体調面から高橋は出演を見合わせることになった[9]

2023年(令和5年)1月11日午前5時59分、脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎のため長野県軽井沢で死去[2][3]70歳没

後日、お別れ会を行う予定[10][3]

2月5日、第65回グラミー賞英語版の逝去した音楽関係者に哀悼を捧げる、イン・メモリアム英語版のコーナーで追悼された[11]

同年、第65回日本レコード大賞特別功労賞を受賞した[12]

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家族・親族

兄は、元ザ・フィンガーズで音楽プロデューサーの高橋信之。姉は日本のファッション界における広報の第一人者である伊藤美恵。ファッション・ブランド「soe」のデザイナー伊藤壮一郎は美恵の息子であり、高橋の甥に当たる。デザイナーボイスアクター大岩Larry正志は高橋家の次女の息子であり、壮一郎の従弟に当たる。また、近代文学研究者の高橋世織は従兄弟。また、現在の妻は「non-no」モデルであった高橋喜代美(当時の芸名は「しもいきよみ」)。

活動実績

音楽プロデュース

竹中直人安田成美高野寛山下久美子中原理恵シーナ&ザ・ロケッツ立花ハジメピンク・レディー門あさ美SMOOTH ACENOKKO桐島かれんTOKIOEBIスーザンUrban dance山野ミナなど。

作詞・作曲

桜田淳子竹内まりや田原俊彦高岡早紀浅香唯小坂一也藤真利子堀ちえみピエール・バルー高井麻巳子杉本彩サンディー&サンセッツ、宮本典子(現mimi)、伊藤つかさザ・ベンチャーズ冨田ラボ安田成美山野ミナなど提供作品多数。

演奏参加

BUZZ山下達郎荒井由実矢沢永吉太田裕美キャンディーズ浅野ゆう子山口百恵桑名正博草刈正雄岩崎宏美オフコース泉谷しげる加藤和彦矢野顕子大貫妙子八神純子ビル・ネルソンアグネス・チャン堀ちえみ海援隊来生たかお浜田省吾南佳孝鈴木茂ブレッド&バターザイン・グリフ郷ひろみ松井常松テイ・トウワ東京スカパラダイスオーケストラEPO山本達彦渡辺香津美高中正義やくしまるえつこ小林武史小椋佳渡辺美里ムーンライダーズLOVE PSYCHEDELICOセニョール・ココナッツなど多数の作品に参加(ドラムをはじめ、キーボード、コーラスなど)。

その他

山本耀司パリ・コレクション出展用の音楽を制作、椎名誠監督映画『ガクの冒険』では音楽監督を務めた。

カシオリズムマシン「RZ-1」に内蔵されたドラム音の監修を行った。

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ディスコグラフィ

シングル

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配信限定シングル

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ビデオシングル

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コラボレート・シングル

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アルバム

オリジナル・アルバム

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セルフカバー・アルバム

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ミニ・アルバム

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ライブ・アルバム

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サウンドトラック

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ベスト・アルバム

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トリビュート・アルバム

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コラボレーション・アルバム

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映像作品

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BOX

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NHK『みんなのうた』

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参加楽曲

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タイアップ

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ゲーム音楽

著書

  • 偉人の血(1985年、パルコ出版) - 鈴木慶一と共著
  • 犬の生活(1989年、JICC出版局)
  • ヒトデの休日(1992年、JICC出版局)
  • キャッチ&リリース(写真:津留崎健、1997年、大栄出版)
  • 心に訊く音楽、心に効く音楽 私的名曲ガイドブック(2012年、PHP研究所)

関連文献

出演

映画

テレビアニメ

テレビ番組

ラジオ番組

  • まいあさラジオ「私のお気に入り」(2017年4月30日 - 2021年2月28日、NHKラジオ第1)
  • マイあさ!「サタデーエッセー「音楽の聴き方」」(2021年5月8日 - 2021年12月4日、NHKラジオ第1)
  • 坂本龍一のサウンドストリート(1981年 - 1986年、NHK-FM) - ゲストとして。不定期
  • 午後のサウンド(1987年4月8日 - 9月30日、NHK-FM)
  • 高橋幸宏のオールナイトニッポン(1983年4月12日 - 12月27日、ニッポン放送)[1]
  • POP THE HERO ‘80s(1980年 - 1981年、ラジオ関東)
  • Stand up please(1986年4月 - 1988年5月、FM東京)[1]
  • Four Roses Sound Bar(1989年)
  • 東芝プレミア3(1992年3月、TOKYO FM) - 3月のみの出演。坂本龍一の代役
  • Every Day Music(2013年4月17日 - 2015年9月27日、Inter FM
  • LIPTON YELLOW LABEL TEA FOR YOU(1997年 - 1998年、FM YOKOHAMA)
  • @nifty presents「yukihiro takahashi@MUSIC WEB」(1999年11月6日 - 2000年、KISS-FM)

CM

関連項目

脚注

外部リンク

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