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ジェレミー・アボット

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ジェレミー・アボット
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ジェレミー・アボット英語: Jeremy Abbott, 1985年6月5日[1] - )は、アメリカの元フィギュアスケート選手(男子シングル)。

概要 ジェレミー・アボット Jeremy ABBOTT, 生誕 ...

2014年ソチオリンピック団体戦銅メダリスト。2010年バンクーバーオリンピックアメリカ代表。全米選手権優勝4回(2009年、2010年、2012年、2014年)。2008年グランプリファイナル優勝。

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人物

1985年6月5日コロラド州[1]アスペンで生まれる。全米選手権ジュニアクラスで優勝した後で基金を設立し、自身がスケートを始めたアスペン・スケーティングクラブの子どもたちを支援している[2][3]。翌2006年には同様の基金をもう1つ設立している[4]。姉のグウェンはアルペンスキー滑降)の元選手[2][5]

2015年1月、実父ダニエル・アボットをパーキンソン病で亡くした。父の闘病中から始めたパーキンソン病の治療法発見・患者支援活動には現在も積極的に参加している。

2020年6月にゲイだとカミングアウトした[6]

経歴

要約
視点

2歳でスケートを始める。4歳のとき、アイスショーで見たロビン・カズンズの演技に刺激を受け、フィギュアスケートを始めた[7]。ノービスまではシングルと並行してアイスダンスペアにも取り組んでおり、1998-1999シーズンにはブリタニー・ヴァイスとともにペア競技に出場していた[2][8][9]

1999年に練習拠点をコロラドスプリングスのワールドアリーナに移し、2008-2009シーズンまでブロードムーア・スケーティングクラブでトム・ザカライセックに師事していた[2][8]。現在はデトロイト・スケーティング・クラブにて佐藤有香に師事している[10]。2001-2002シーズンに全米選手権ノービスクラス初出場を果たし、シングルに専念することを決めた[8]2003年には腰椎を骨折して約4ヶ月間リンクに立てなくなったこともあったが[8]、2005年全米選手権ジュニアクラスで優勝を果たした。

シニア初年度の2005-2006シーズンは中西部予選で5位にとどまり、全米選手権に進むことすらできずに終わった[5]。2006-2007シーズン、フィンランディア杯で優勝。全米選手権でも4位に入賞し、翌2008年大会のシード権を獲得した。そしてジョニー・ウィアーの辞退により、四大陸選手権にも出場。ホームリンクで開催されたこの大会で、銅メダルを獲得した。

2007-2008シーズンからはISUグランプリシリーズに参戦。全米選手権では2年連続の4位となった。直前に怪我で欠場することになったエヴァン・ライサチェクに替わって[11]世界選手権に出場した。2008-2009シーズン、中国杯をアメリカ男子シングル史上最高得点で制した[8][12]。初進出のGPファイナルでは、ショートプログラムフリースケーティングでそれぞれパーソナルベストを更新し、アメリカ男子シングル選手初のGPファイナルチャンピオンとなった。全米選手権でも初優勝。

2009-2010年シーズン、全米選手権では世界王者のエヴァン・ライサチェクを抑え2連覇を達成、バンクーバーオリンピック世界選手権の代表の座を射止めた。バンクーバーオリンピックは9位、世界選手権は5位入賞を果たした。

2010-2011年シーズン、靴の問題などを抱え不調のために全米選手権も4位に終わり、世界選手権の代表の座を逃すこととなった[13]四大陸選手権では3位となった。

2011-2012年シーズン、グランプリシリーズ中国杯で優勝。続くロステレコム杯では、フリーの演技中に手を負傷するアクシデントに見舞われながらも3位に入り、グランプリファイナルへの出場を決めた。ファイナルでは合計点で自身のパーソナルベストを更新したが、ハイレベルな争いの中5位に終わった。全米選手権では2位以下を大きく引き離す高得点でチャンピオンに返り咲いた。

2012-2013年シーズン、全米選手権ではSPで1位に立つもののFSではミスが相次ぎ3位。6シーズンぶりにISUチャンピオンシップスの派遣は無かった。

2013-2014年シーズン、NHK杯ではSP7位からFS3位と逆転し銅メダルを獲得。全米選手権ではSPでノーミスの演技を披露し1位、FSでは2位だったもののリードを守りきり4度目の優勝を飾った。ソチオリンピックの団体戦では銅メダルを獲得。個人戦のSPでは4回転トゥループで転倒し、そのまま数秒間動けなかったが演技に復帰し14位。FSは出場選手の中で唯一GOEでマイナスの評価を受ける事無く滑り、パーソナルベストを更新し総合では12位だった。現役最後の試合として臨んだ世界選手権はSPで4回転トゥループを転倒し8位となるも、FSではパーソナルベストを更新し5位となった[14]。しかしその後のインタビューで競技生活を終えるかについては迷っているとの発言があった[15]

2014-2015年シーズン、引退はせずにグランプリシリーズに出場。2大会ともに5位だった。全米選手権ではSP3位だったが、FSで2度のジャンプの転倒があり総合5位に順位を落とし、全米選手権で初めてメダルを逃した。

2015-2016年シーズンは、6月までに2種類の4回転を降りられるようになれば現役を続けると語った[16]。5月にスケート靴のブレードが壊れて習得には至らなかったが現役続行の意思を表明。国内選手権に照準を合わせるためにグランプリシリーズは欠場すると発表した[17]。しかしその後方針転換し、全米選手権にも出場しないことを発表。このシーズンの試合出場は10月のジャパンオープン、1月のメダルウィナーズオープンのみとなった[18]

2017年6月22日、引退を発表した[19]

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主な戦績

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  • J = ジュニアクラス

詳細

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プログラム使用曲

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脚注

外部リンク

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