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スイグン

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スイグン[1]は、日本アングロアラブ競走馬。主な勝ち鞍に2004年2005年全日本タマツバキ記念アラブ大賞典、2004年のセイユウ記念アラブグランプリ、2005年のローゼンホーマ記念など。2004年度および2005年度のNARグランプリアラブ最優秀馬に選出された[4]

概要 スイグン, 欧字表記 ...

馬名の由来は、水軍から。

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概要

2002年6月29日、福山競馬場での2歳新馬戦でデビューし、4着。2戦目で勝ちあがるが、3歳の春までは勝ち星より2着の方が目立っていた。2003年6月には園田競馬場に遠征して楠賞兵庫アラブ優駿に出走も、失格に終わる。福山に戻ったあとは連勝を重ね、5連勝目に鞆の浦賞、6連勝目に全日本アラブグランプリと重賞競走も連勝する。4歳初戦の福山大賞典ユキノホマレの2着に終わるが、続くA1特別競走を連勝し、佐賀競馬場での西日本アラブ大賞典で重賞3勝目を挙げ、福山桜花賞2着を挟んで出走の全日本タマツバキ記念アラブ大賞典でハッコーディオスを下して重賞4勝目を挙げる。A1特別競走2着を経て金沢競馬場に遠征し、セイユウ記念アラブグランプリで1番人気に応えて重賞5勝目。以後しばらくはA1特別では勝っても重賞では勝ちきれない競馬を重ねたが、2005年3月にローゼンホーマ記念を勝つと、続く福山桜花賞も勝って、全日本タマツバキ記念アラブ大賞典も連覇を果たし重賞3連勝を記録。7月の高知競馬サラブレッド招待交流では2着のユキノホマレとともにサラブレッドに勝ったが、秋以降は勝ち星なく、2006年1月の福山大賞典5着のあとオーナーサイドの意向により引退し、引退後は栃木県那須塩原市にある地方競馬の騎手の養成機関である地方競馬教養センターで、基本馬術用の訓練馬として繋養されている[4][6][7]。乗馬未経験の候補生も、どう乗れば駈歩ができるようになるかを学べるぐらいに乗りやすいことから、センターでは「お助けホース」「神ホース」とも呼ばれている[8]

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競走成績

要約
視点

以下の内容は、JBISサーチ[5]、netkeiba.com[9]地方競馬全国協会[2]に基づく。

さらに見る 年月日, 競馬場 ...
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血統表

スイグン血統「アア」表記はアングロアラブ種 「アラ」表記はアラブ種 「*」が付された馬名はシャギアギドランサラ系(血統表の出典)[§ 1]

アア ホーエイヒロボーイ
1985 黒鹿毛
父の父
アア ヒロタケ
1972 黒鹿毛
アア フクトミオー アア ホースニユース
アア サワトヨ
アア アンドロス アア セイユウ
アア カネミノル
父の母
アア ミスアキフジ
1975 栗毛
アア タガミホマレ アア ミネフジ
アア バイオレツト
アア クインボールド アア ライジングホース
スピードヒメ

アア エイランスイセイ
1984 鹿毛
アア スイセイガバナー
1974 鹿毛
アア スカレー アア エルシド El Cid
アア トモスカツプ
アア セツゼツ マロツト Marot
アア ナンリユウ
母の母
アア エイランカイキョウ
1984 鹿毛
アア タガミホマレ アア ミネフジ
アア バイオレツト
アア ミストウロツチ アア トモカゲオー
アア ゼンセイ
5代内の近親交配 タガミホマレ 3 × 3 = 25.00%、セイユウ・トモカゲオー 4 × 4 = 12.50%、ライジングフレーム 5 × 5 × 5 = 9.38% [§ 2]
出典

全兄に1999年NARグランプリアラブ系5歳以上最優秀馬のエイランボーイ[11]

脚注

外部リンク

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