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ステゴサウルス

ステゴサウルス科の植物食恐竜 ウィキペディアから

ステゴサウルス
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ステゴサウルス学名Stegosaurus [ˌstɛɡəˈsɔːrəs][2]、「屋根のあるトカゲ[注 1]」の意)は、後期ジュラ紀草食性四足歩行英語版装盾類恐竜であり、背中にある特徴的な凧形の直立した皮骨板(プレート)と尾のサゴマイザー(スパイク)が特徴。本属の化石アメリカ西部とポルトガルで発見されており、ポルトガルでは1億5500万年前から1億4500万年前のキンメリッジアンからチトニアン地層で発見されている。アメリカ西部の上部モリソン層に分類されているのうち、S. stenopsS. ungulatusS. sulcatus の3種のみが広く認識されている。ステゴサウルスの化石は80体以上発見されている。ステゴサウルスは、アパトサウルスディプロドクスカマラサウルスアロサウルスなどの恐竜と共存していたとされ、アロサウルスはステゴサウルスを捕食していた可能性がある。

概要 ステゴサウルス Stegosaurus, 地質時代 ...

彼らは大きく体格のよい草食性四足歩行動物で、背中は丸く、前肢は短く、後肢は長く、尾は空中に高く伸びていた。幅広く直立した皮骨板と先端にサゴマイザーが付いた尾という特徴的な組み合わせのため、ステゴサウルスは恐竜の中でも最もよく知られている種類の一つである。この皮骨板とサゴマイザーの配列の機能は、研究者らによる多くの推測の対象となってきた。今日では、サゴマイザー付きの尾は捕食者から身を守るために使用された可能性が高く、皮骨板は主にディスプレイ用に使用され、二次的に体温調節機能を果たしていたと考えられている。ステゴサウルスは、脳と体の質量の比率が比較的低かった。首部が短く頭部が小さかったため、低地の茂みや灌木を食べていた可能性が高い。ステゴサウルス・ウングラトゥス(Stegosaurus ungulatus)という種は、知られている剣竜類の中でも最大級の種で、最大の標本は全長約7.5メートル、体重は5トンを超えた。

ステゴサウルスの化石は、ダイナソー・リッジ英語版国定公園でオスニエル・チャールズ・マーシュらによる「化石戦争」の際、初めて特定された。最初に発見された骨格は断片的で、骨は散在しており、姿勢や骨の配置など、これらの動物の本当の姿がよく理解されるまでには何年もかかった。書籍や映画で人気があったにもかかわらず、ステゴサウルスの骨格は20世紀半ばまで主要な自然史博物館の定番にはならなかった。多くの博物館では、完全な骨格が不足していたため、複数の異なる標本を組み合わせ複合展示する必要があった。ステゴサウルスはよく知られている恐竜の1つで、映画、郵便切手、その他多くのメディアで取り上げられてきた。

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歴史と命名

要約
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化石戦争とステゴサウルス・アルマトゥス

化石戦争で発見されている多くの恐竜の1つであるステゴサウルスは、アーサー・レイクス英語版によって最初に産出され、コロラド州モリソン英語版北部にあるレイクスの YPM 採石場 5 で収集されたいくつかの尾椎、皮骨板、およびいくつかの頭蓋骨の要素で構成されていた[3]。これらの最初の化石(YPM 1850)は、1877年にイェール大学の古生物学者オスニエル・チャールズ・マーシュによって記載され、ステゴサウルス・アルマトゥス(Stegosaurus armatus)のホロタイプとなった[4]。マーシュは当初、この化石は水棲のカメのような動物のものだと考えており、その皮骨板が動物の背中の上に平らに敷かれ、屋根の屋根板英語版タイル)のように重なり合っているという初期の考えから、この化石に「屋根(板)のあるトカゲ[注 1]」という意味の学名を付けた[4]。いくつかのより完全な標本がステゴサウルス・アルマトゥスのものと考えられてきたが、骨の準備と分析により、このタイプ標本は実際には疑わしいことが判明した。これは、ステゴサウルスの様なよく知られた属のタイプ種にとって理想的な状況ではない[3]。そのため、動物命名法国際審議会は、タイプ種をよりよく知られている種であるステゴサウルス・ステノプス(Stegosaurus stenops)に置き換えることを決定した[5]。マーシュはまた、竜脚類ディプロドクスの歯冠と歯を含むいくつかの化石を誤ってステゴサウルス・アルマトゥスに言及し、竜脚類の四肢骨とアロサウルスの脛骨を YPM 1850 の下に置いた[6]

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マーシュによる1891年のステゴサウルス・ウングラトゥスの骨格復元図。ステゴサウルス・ステノプスをモデルにした12個の大きな丸い皮骨板と8本のサゴマイザーが一列に並んでいることに一目置かれる

化石戦争の一方、エドワード・ドリンカー・コープは、1878年にコロラド州ガーデン・パーク英語版の「Cope's Nipple」付近のコープ採石場3から発見された断片的な化石に基づき、別の剣竜類としてヒプシロフス・ディスクルスHypsirhophus discurus)と命名した[7]。後世の研究者の多くはヒプシロフスをステゴサウルスのシノニムと見做したが[8]、Peter Galton (2010) は椎骨の違いに基づき異なる種であると示唆した[3]。コープの収集家である F. F. Hubbell も、1877年か1878年にコモ・ブラフ英語版での発掘作業中にステゴサウルスの部分的な骨格を発見した。これは現在、アメリカ自然史博物館のステゴサウルスの骨格復元模型(AMNH 5752)の一部となっている[9]

アーサー・レイクスは、1879年8月にワイオミング州オールバニ郡のコモ・ブラフで、モリソン層後期ジュラ紀の地層で、数体の大型ステゴサウルスの化石を発見した[6]。化石の大部分は採石場13から産出したもので、その中にはレイクスとウィリアム・ハーロウ・リード英語版が同年に収集し、マーシュが命名したステゴサウルス・ウングラトゥスのタイプ標本(YPM 1853)も含まれていた[6]。本標本は採石場で発見された多くの標本のうちの1つで、部分的な頭蓋骨、いくつかの椎骨、坐骨、部分的な四肢、いくつかの皮骨板、および4つのサゴマイザーで構成されていたが、タイプ標本と共に保存されていた標本に基づき8つのサゴマイザーが参照された[6]。タイプ標本には、この種の名の由来となった「有蹄屋根のあるトカゲ」を意味する蹄も保存されていた[10][3]。1881年、彼は腰骨だけに基づき3番目の種であるステゴサウルス・"アフィニス"(Stegosaurus "affinis")と命名したが、その後化石は失われ、この種は裸名とされた[6][3]。1887年後半マーシュは、コモ・ブラフで発見されたステゴサウルスのさらに2つの種を記載した。ステゴサウルス・デュプレックス(Stegosaurus duplex)はリード採石場11からの部分的な脊椎、部分的な骨盤、部分的な左後肢(からなる YPM 1858)に基づいているが、この種は現在ステゴサウルス・ウングラトゥスと同一種であると考えられている[8]。もう一方の種ステゴサウルス・スルカトゥス(Stegosaurus sulcatus)は、1883年に産出された左前肢、肩甲骨、左大腿骨、いくつかの椎骨、およびいくつかの皮骨板と装甲要素(USNM V 4937)に基づき命名された[8][3]。ステゴサウルス・スルカトゥスには、種の判別に用いられる肩部にあったと推測されている大きなスパイクが保存されていることが最も注目されている[3]

ステゴサウルスに関する最大の発見は、1885年に、完全な頭蓋骨、喉付近の小骨、関節した皮骨板など、これまで発見されていなかった要素を含む、ほぼ完全な関節が繋がっている状態の骨格が発見されたことである[10][8]。Marshall P. Felch は1885年から1886年にかけ、コロラド州キャノン・シティ英語版近郊の町ガーデン・パークの採石場にあるモリソン層の地層からこの骨格を発見した[11][8]。Felch は、まず骨格をラベルの付いたブロックに分け、別々に準備することで、この骨格を巧みに発掘した[8]。骨格は1887年にマーシュに送られ、同年にマーシュはそれをステゴサウルス・ステノプス(「狭い顔の屋根のあるトカゲ」)と名付けた。まだ完全に準備されていないが、ほぼ完全な関節が繋がったステゴサウルス・ステノプスのタイプ標本により、マーシュはステゴサウルスの骨格復元を完成される上の最初の試みを完了することができた[10][12]。この最初の復元は、ステゴサウルス・ウングラトゥスの欠損部分をステゴサウルス・ステノプスから補ったもので、1891年にマーシュによって出版された。(1893年にリチャード・ライデッカーが誤ってマーシュの復元をヒプシロフスと表記し再出版した。)[8]

初期の骨格復元模型と皮骨板の解釈

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ステゴサウルス・ウングラトゥスの最初の骨格標本、1910年ピーボディ自然史博物館

ステゴサウルス・ステノプスの骨格はワシントンD.C.国立自然史博物館に寄託され、1915年から展示されている[13]。博物館用に、1887年にコモ・ブラフの採石場13で収集されたステゴサウルス・ステノプスのいくつかの標本で構成された複合骨格標本が作られた。最も完全なものは USNM 6531[13]。ステゴサウルス・ウングラトゥスのタイプ標本(YPM 1853)は、1910年にリチャード・スワン・ルルによってイェール・ピーボディ自然史博物館で初めて展示された剣竜類の骨格標本に組み込まれた。当初は一対の皮骨板が肋骨の基部より上に広く配置されていたが、1924年に背中の正中線に沿って皮骨板が2列交互に配置された形で再設置された[14]。アメリカ国立自然史博物館によって同採石場から回収された尾椎と追加の大きな皮骨板(USNM 7414)を含む追加の標本は、YPM 1853 と同じ個体のものである[3]

1901年に Frederick Lucas によってステゴサウルス・マルシ(Stegosaurus marshi)が記載された。Lucas は同年の後半にこの種を新属ホプリトサウルス英語版に再分類した。Lucas はまた、ステゴサウルスの生前の外観の問題を再検討し、皮骨板が背中に沿って2列に対になって配置され、肋骨の基部の上に並んでいるという結論に達し、チャールズ・R・ナイト英語版に、彼の新しい解釈に基づいたステゴサウルス・ウングラトゥスの生息時の復元図の製作を依頼した。しかし翌年、Lucas は皮骨板がおそらく互い違いの列で並んでいたと考えるようになったとした。1910年、リチャード・スワン・ルルは、ステゴサウルス・ステノプスに見られる交互のパターンは、おそらく死後に骨格が移動したためであると解釈した。また彼は、順が対の状態の皮骨板で描かれた史上初のステゴサウルス骨格の製作をピーボディ自然史博物館で主導した。1914年、チャールズ・W・ギルモアは、現在では完全に準備されたホロタイプを含むステゴサウルス・ステノプスのいくつかの標本が背中の頂点近くに皮骨板が交互に並んだ状態で保存されており、化石化中に皮骨板が体に対して移動した証拠がないことを指摘し、ルルの解釈に反論した[8]。ギルモアと Lucas の解釈は一般的な復元の標準となり、ピーボディ博物館のルルの模型はこれを反映して1924年に変更された[14]

ステゴサウルスは恐竜の中でも最も特徴的な種類の1つと考えられているが、断片的な化石標本ばかりだったため、20世紀前半には博物館で殆どステゴサウルスの展示が見られなくなっていた。1918年まで、世界で唯一のステゴサウルスの模型は、ピーボディ自然史博物館にあるマーシュのステゴサウルス・ステノプスのタイプ標本で、1910年に展示されていた。しかし、この模型は、1917年にピーボディ博物館の旧建物が取り壊されると共に解体された[13]。この歴史的に重要な標本は、1925年にピーボディ博物館の新館がオープンする前に再展示された[14]。1918年には、ステゴサウルスの2番目の模型が完成した。これは、ステゴサウルス・ステノプスを描いた最初の模型である。この模型は、アメリカ国立自然史博物館チャールズ・W・ギルモアの指揮の下で作成された。主に USNM 6531 の複数の骨格を組み合わせたもので、1918年以来、付近でレリーフ展示されていたステゴサウルス・ステノプスのタイプ標本に厳密に従うように設計されていた[13]。老朽化した台座は2003年に解体され、2004年に最新のものに置き換えられ、同時に姿勢が変更された[15]。ステゴサウルスの3番目の骨格標本(ステゴサウルス・ステノプス)は、1932年にアメリカ自然史博物館で展示された。Charles J. Long の指揮の下で展示されたアメリカ自然史博物館の標本は、他の標本に基づくレプリカで埋められた部分的な化石からなる複合標本であった。博物館のジャーナルに新しい標本について述べた記事で、バーナム・ブラウンは、ステゴサウルスの腰に「第二の脳」があるという一般的な誤解について説明(および反論)した[16]。1920年から1922年にかけ恐竜国定公園から産出されたステゴサウルス・ウンガルトゥスの標本を使用した別の複合標本が、1940年にカーネギー自然史博物館に展示された[17]

皮骨板の配置

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1901年にチャールズ・R・ナイト英語版が復元したステゴサウルス・ウンガルトゥスの皮骨板と尾のサゴマイザーは1対になっている

ステゴサウルスに関する書籍や記事の主要なテーマの一つは、皮骨板の配置である[18]。この議論は恐竜復元の歴史において大きな議論となっている。長年に渡り、4つの皮骨板の配置が提案されてきた。

  • 皮骨板は背中に沿って平らに横たわり、屋根板のような鎧であった。これがマーシュの最初の解釈であり、これが「屋根のあるトカゲ」という名に繋がった。より完全な皮骨板が発見されるにつれ、その形状から、平らに横たわっているのではなく、端に立っていることが分かった。
  • 1891年までにマーシュは、皮骨板が一列に並んだ、より一般的なステゴサウルスの画像を発表した[12]。これはかなり早い段階で廃止された(皮骨板が皮膚に埋め込まれる仕組みがよくわかっていなかったため、またこの配置では皮骨板が重なりすぎると考えられたためと思われる)。この復元は、1980年代に Stephen Czerkas によって[19]イグアナの背骨の棘の配置に基づいている。
  • ナイトの1901年の復元図や1933年の映画「キングコング」のように、皮骨板は背面に沿って2列に並んでいた。
  • 交互に並ぶ2列の皮骨板。1960年代初頭までに、この考え方は広く受け入れられるようになった(現在もそうである)。主な理由は、皮骨板が部分的に連結されたままのステゴサウルス・ステノプスの化石の一部にこの配置が見られるためである。この配置はキラリティーであるため、標本を明確な仮説である左右対称と区別する必要がある[20][21]

第二の恐竜ラッシュ

化石戦争の終結後、アメリカ東部の多くの主要機関がマーシュとコープの描写や発見に触発され、独自の恐竜化石コレクションを収集した。この競争は、アメリカ自然史博物館カーネギー自然史博物館フィールド自然史博物館によって最初に開始され、各博物館は西部に探検隊を派遣して独自の恐竜コレクションを作成し、化石展示室に骨格を展示した[22]。アメリカ自然史博物館は1897年に初めて探検隊を派遣し、コモ・ブラフのボーン・キャビン採石場で、様々だが不完全なステゴサウルスの標本をいくつか発見した[22][9]。これらの化石は未記載であり、1932年に組み立てられた。組み立てられたのは主にボーン・キャビン採石場の標本 AMNH 650 と 470 の合成物である[9][23]。アメリカ自然史博物館の標本は鋳造され、フィールド博物館に展示されているが、同博物館では第二次恐竜ラッシュの期間中にステゴサウルスの骨格を採集していなかった[23]。一方、ピッツバーグのカーネギー博物館は、1902年から1903年にかけワイオミング州カーボン郡のフリーズアウトヒルズで最初に多くのステゴサウルスの標本を収集した。化石には頭蓋骨より後の化石数個しか含まれていなかったが、1900年代から1920年代にかけ、カーネギーのチームが恐竜国定公園で、過去最大の数十体分のステゴサウルスの標本を発見した[24]。採石場で発見された最も完全な骨格である CM 11341 は、1940年に他のいくつかの標本とともにステゴサウルスの複合標本の基礎として使用され、標本が完成した。カーネギーの作業員によって頭蓋骨(CM 12000)も発見されたが、これは知られている数少ない頭蓋骨の1つである[24]。アメリカ自然史博物館とカーネギー自然史博物館の両方の資料は、ステゴサウルス・ウングラトゥスについて言及されている[24][6]

再発見

恐竜ルネッサンスと博物館や一般大衆による恐竜への関心の復活の一環として、ステゴサウルスの化石が再び参照されたが、完全に説明されているものは殆どなかった。1937年、Frank Kessler という高校教師がガーデン・パークでの自然散策案内時に、再び重要な発見があった。Kessler はデンバー自然科学博物館英語版に連絡し、博物館は古生物学者の Robert Landberg を派遣した[25]。Landberg はデンバー自然科学博物館の作業員とともに骨格を発掘し、70%の完全なステゴサウルスの骨格の他、カメ、ワニ、孤立した恐竜の化石を採石場で発見した。この採石場は「The Kessler Site」というニックネームが付けられた[25]。鉄鋼労働者の Phillip Reinheimer は、1938年にデンバー自然科学博物館でステゴサウルスの骨格を展示した。この骨格は、1989年にデンバー自然科学博物館の博物館学芸員が博物館の化石展示室の改修を開始し、追加のステゴサウルスの化石を探すために探検隊を派遣するまで展示されたままであった[25]。この探検隊は、The Kessler Site 付近で Bryan Small によってほぼ完全なステゴサウルスの発見に成功し、彼はこの新しい遺跡の名付け親となった[25][26]。「スモール採石場(Small Quarry)」ステゴサウルスの関節した完全性により、ステゴサウルスの背中の皮骨板とサゴマイザーの位置、および以前にフェルチがステゴサウルス・ステノプスのホロタイプで初めて発見した耳小骨の位置とサイズが明らかになったが、ステゴサウルス・ステノプスのタイプと同様に、化石は「ロードキル」状態で平らになっていた[27][26][25]。ステゴサウルスの骨格は、もともと1979年にコロラド州モファット郡で収集されたアロサウルスの骨格と並べて展示されている[25]

1987年、コロラド州メサ郡ラビット・バレー英語版にあるダイナソー・ジャーニー博物館英語版の近郊で、Harold Bollan によって40%完全なステゴサウルスの骨格が発見された[28]。この骨格は「ボラン・ステゴサウルス(Bollan Stegosaurus)」というニックネームが付けられ、ダイナソージャーニー博物館のコレクションに収められている[28]ジェンセン・ジェンセン英語版採石場では、小型個体の背板数枚を含む関節した胴体が回収され、2014年に簡単に記載されたが、標本は数年前に採集され、現在もブリガム・ヤング大学で準備中である[29]。2007年には、ポルトガルの後期ジュラ紀ロウリニャ層英語版から発見されたステゴサウルスの標本が記載され、記載者によってこの標本はおそらくステゴサウルス・ウンガルトゥス(Stegosaurus cf. ungulatus)とされた[30]。この標本は、知られている限りでは数少ないステゴサウルスの骨格の1つであるが、歯、椎骨13個、四肢の一部、頸板、および頭蓋骨以外の様々な要素のみが含まれている[30][27]

ソフィー・ステゴサウルス(Sophie the Stegosaurus)は、85%が完全な状態で、360個の骨を含む、最も保存状態の良いステゴサウルスの標本である。ソフィーは、2003年にワイオミング州シェル英語版近郊のレッド・キャニオン牧場の採石場で Bob Simon によって最初に発見され、2004年にアータール恐竜博物館英語版の作業員によって発掘され、その後博物館のスタッフによって整備され、地主の娘にちなんでサラというニックネームが付けられた[27][31]。この骨格は私有地で発掘されたもので、購入可能であった。ロンドン自然史博物館は、Jeremy Herrmann を始めとする個人の寄付者と協力して資金を集め、標本の購入を手配した。この標本には、新しい公式博物館コレクション標本番号 NHMUK PV R36730 が与えられ、Herrmann の娘に因みソフィーというニックネームが付けられた[32]。模型となった骨格標本は2014年12月に展示され、2015年に科学的に記載された[27]。性別不明の若い成体で、全長5.8メートル、体高2.9メートルである[27]。1990年代にワイオミング州ハウ採石場で行われた発掘調査で、サウリア博物館はステゴサウルス科の部分的な骨格をいくつか発見したが、詳細に説明されているのはソフィーだけである。「ビクトリア」として知られるこの遺跡で産出された骨格の1つは、ほぼ関節した状態の多くの椎骨を含め、非常によく保存されており、「ビッグ アル II(Big Al II)」というニックネームのアロサウルスの骨格の隣にある[31]

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特徴

要約
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人と比較したウンガルトゥス(オレンジ)とステノプス(緑)の大きさ

四足歩行英語版であるステゴサウルスは、丸い背中に沿って垂直に伸びる特徴的な二列の凧形の皮骨板と、尾の端近くで水平に伸びる二対の長いサゴマイザーにより、最も簡単に識別できる恐竜の属の1つ。ステゴサウルス・ステノプスは全長6.5メートル、体重が3.5トンに達し、一方ステゴサウルス・ウングラトゥスは全長7メートル、体重が3.8トンに達した[33]。大型の個体は全身7.5メートル、体重5.0から5.3トンに達したと推定される[34][35]

ステゴサウルスについて知られている情報のほとんどは、成体の化石から得られたものだが、近年では幼体の化石も発見されている。1994年にワイオミング州で発見された1体の幼体の標本は、全長4.6メートル、体高2メートル、体重1.5から2.2トン[36]であったと推定されている。また、ワイオミング大学地質学博物館英語版に展示されている[37]

頭蓋骨

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ステノプスの頭蓋骨のレプリカ、ユタ州自然史博物館

細長い頭蓋骨は、体に比べ小さかった[38]。頭蓋骨には小さな前眼窩窓があった。これは現代の鳥類を含むほとんどの主竜類に共通する鼻と目の間の穴だが、現生のワニ類では失われている。頭蓋骨の位置が低いことから、ステゴサウルスは低木の植物(シダなど[39])を食べていた可能性がある。この解釈は、前歯がなく、角質のまたは角鞘に置き換わっていた可能性が高いことからも裏付けられる。下顎には下向きと上向きの平坦な延長部があり、横から見ると歯が完全に隠れていたと思われる。生前は、これがカメのような嘴を支えていたと考えられる。嘴が顎のほとんどに沿って伸びていたため、これらの種には頬が存在しなかった可能性がある[40]。このような広範な嘴は、おそらくステゴサウルスや、通常は嘴が顎の先端に限られていた鳥盤類の中でも他の進化した剣竜類に特有のものだったと考えられる[41][42]。他の研究者は、これらの隆起は他の鳥盤類の類似の構造の改変版であり、嘴ではなく肉質の頬を支えていた可能性があると解釈している[43]。剣竜類の歯は小さく、三角形で、平らだった。摩耗面から、剣竜類が食物をすり潰していたことを示唆している[44]

体の大きさにも関わらず、ステゴサウルスの脳函は小さく、犬の脳函ほどの大きさしかなかった。1880年代、オスニエル・チャールズ・マーシュは、ステゴサウルスの脳函の保存状態が良かったため、脳の大きさの目安となる脳腔の鋳型、すなわちエンドキャストを作製することができた。エンドキャストは、脳が非常に小さいことを示し、当時知られているすべての恐竜のエンドキャストの中で最も小さいものであった。体重が4.5トンを超える動物の脳は80グラム以下であるという事実は、すべての恐竜が知能がなかったという古くからの一般的な考えの一因となったが、この考えは現在ではほぼ否定されている[45]。ステゴサウルスの実際の脳の解剖はほとんど分かっていないが、脳自体は恐竜にしては小さかった[46]。また、大きさはクルミ程度で[47][48]、ヒトの45分の1程しかなかった。重さは28グラムと推定されている[49]

骨格

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ウンガルトゥスとされる複合骨格標本、カーネギー自然史博物館所蔵

ステゴサウルス・ステノプスでは、仙骨より前方の脊椎に27個の骨があり、仙骨の椎骨の数は様々で、殆どの亜成体では4個、尾椎は約46個である。仙骨前部は頸椎と背椎に分かれており、頸椎は約10個、背椎は17個である。合計数はヘスペロサウルスより1個、ファヤンゴサウルスより2個多いが、ミラガイアでは17個の頸椎と不明な数の背椎が保存されている。最初の頸椎は軸椎で、環椎と繋がっており、癒合している場合が多い。後方に行くほど、頸椎は比例して大きくなるが、サイズ以外で大きな変化はない。最初の数個の背椎を過ぎると、骨の中心部分は前後方向にさらに細長くなり、横突起は背側でさらに隆起する。ステノプスの仙骨には4つの仙椎が含まれるが、背椎の1つも構造に組み込まれている。またいくつかの標本では、尾椎も仙尾骨として組み込まれている。ヘスペロサウルスには仙背骨が2つあり、癒合した仙骨は4つだけであるが、ケントロサウルスでは仙骨に背仙骨と仙尾骨の両方を含む7個もの椎骨がある可能性がある。ステノプスは46個の尾椎を保存しており、最大49個になる。尾椎の系列に沿って、椎体と神経棘は両方とも小さくなり、神経棘は尾の35番目で消失する。尾の中央付近で、神経棘は分岐し、つまり上部近くで分割された[27]

保存状態の良い骨格が多数存在するステノプスは、四肢を含む体のすべての部位を保存している。肩甲骨は亜長方形で、頑丈な棘が付いている。常に完全に保存されているわけではないが、肩峰英語版はケントロサウルスよりもわずかに大きかった。棘は比較的真っ直ぐだが、後方に向かって湾曲している。棘の背面には小さな突起があり、上腕三頭筋の基部として機能していたと考えられる。肩甲骨と関節した烏口骨は亜円形である[27]。後足にはそれぞれ3本の短い趾があり、前足にはそれぞれ5本の趾があったが、内側の2本の指にのみ鈍い蹄があった。指節の式は 2-2-2-2-1 で、前肢の最も内側の指には2本の骨があり、次の指にも2本の骨がある[50]。四肢はすべて、つま先の後方のパッドで支えられていた[51]。前肢はずんぐりとした後肢よりもずっと短いため、珍しい姿勢になった。尾は地面からかなり離れていたようだが、ステゴサウルスの頭部は比較的低い位置にあり、おそらく地面から1メートル以内であった[26]

皮骨板

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ステノプスの現代的な姿を描いたソフィーの復元図

ステゴサウルスの最も顕著な特徴は、17から22 枚の独立した皮骨板(プレート・骨板・剣板とも)と棘である[14]。これらは、現在ワニや多くのトカゲに見られるものと似た、高度に変化した皮骨だった。これらは動物の骨格に直接付着しているのではなく、皮膚から発生していた。最も大きな板は腰の上にあり[52]、幅60センチメートル、高さ60センチメートルを超えるものもあったほどである[14]。前半身の形は五角形で、後半身の形は三角形だった[47]

2010年にステゴサウルスの種について発表された論文で、ピーター・ガルトン英語版は背中の皮骨板の配置は種によって異なっていた可能性があり、横から見たときの皮骨板のパターンが種の判別に重要だった可能性があると示唆した。ガルトンは、ステノプスの皮骨板は対ではなく、2列に交互に関節していたと指摘した。また、後半身からは1列になっていたという説もある[47]。また、ステノプスの皮骨板は発見数が少なく、関節したものは無かったため、この種の配置を特定するのはより困難だった。しかし、ステノプスのタイプ標本には尾から発見された2枚の平らな棘のような皮骨板が保存されており、形も大きさもほぼ等しいが互いに鏡像になっていることから、少なくともこれらが対になって配置されていたことが示唆される[3]。多くの皮骨板は明らかにホモキラリティーであり[20][21]、同等の大きさと形の皮骨板が2枚見つかったことはないが、皮骨板は個体間で相関関係にあることがわかっている。ヘスペロサウルスの皮骨板の保存状態の良い外皮の印象は、長く平行で浅い溝のある滑らかな表面を示している。これは、皮骨板がケラチンの鞘で覆われていたことを示している[53]

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分類と種

要約
視点
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ウンガルトゥスの復元図
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皮骨板のレプリカ、ボーズマンモンタナ州立大学ロッキー博物館英語版

曲竜類のスパイクと装甲と同様に、剣竜類の皮骨板とサゴマイザーは、基盤的な装盾類の特徴である低い竜骨を持つ装甲から進化した[54]Galton英語版 (2019) は、インド前期ジュラ紀シネムーリアンからプリンスバッキアン)下部コタ層英語版から発見された装盾類の皮骨板を曲竜類の化石であると解釈し、この発見は曲竜類とその姉妹群である剣竜類の両方がおそらく前期ジュラ紀に起源を持つことを示していると主張した[55]

これまでに発見された剣竜類の大部分は、後期ジュラ紀から前期白亜紀に生息していたステゴサウルス科に属し、ポール・セレノによって、ファヤンゴサウルスよりもステゴサウルスに近いすべての剣竜類として定義された[56]。この分類群は広範囲に分布しており、生息範囲は北半球アフリカ、そしておそらく南アメリカにまで及んでいた[57]。ステゴサウルスは、ステゴサウルス科内のステゴサウルス亜科と呼ばれる系統群とされることが多く、通常はウエルホサウルスヘスペロサウルスという分類群も含まれる[58]。以下のクラドグラムは、Raven et al. (2023) による "preferred tree" 系統解析の結果を示しており、ステゴサウルス亜科が剣竜類と寛脚類の中での位置を示している[59]

Eurypoda

Ankylosauria

Stegosauria

Tuojiangosaurus

Paranthodon

Chungkingosaurus

Gigantspinosaurus

Isaberrysaura

Huayangosaurus

Stegosauridae

Jiangjunosaurus

Dacentrurus

Stegosaurinae

Stegosaurus stenops

Hesperosaurus

Wuerhosaurus

Loricatosaurus

Alcovasaurus

Kentrosaurus

Adratiklit

Miragaia

2017年、Raven と Maidment は、ほぼ全ての既知の剣竜類の属を含む系統解析を発表した[60]。彼らのデータセットはその後数年間で分類群が追加され、拡張されてきた。中国の河口層群英語版の剣竜類の化石に関する2024年の記載では、Li et al. は Raven と Maidment のデータセットの修正版を使用し、剣竜類の系統関係を分析した[1]

Stegosauria

Bashanosaurus

Chungkingosaurus

Huayangosaurus

Isaberrysaura

Gigantspinosaurus

Alcovasaurus

Jiangjunosaurus

Tuojiangosaurus

Paranthodon

Kentrosaurus

Adratiklit

Dacentrurus

Hesperosaurus

Miragaia

Loricatosaurus

Stegosaurus homheni (=Wuerhosaurus)

Hekou Group Stegosaurus sp. (GSAU 201201)

Stegosaurus stenops

当初記載された種の多くは、無効であるか、それ以前に命名された種のシノニムであると考えられており[6]、よく知られている種が2つ、あまり知られていない種が1つ存在している。モリソン層の地層ゾーン2から6で確認されたステゴサウルスの化石が発見されており、地層ゾーン1からはステゴサウルスのものと思われる追加の化石もある[61]

  • ステゴサウルス・ステノプス(Stegosaurus stenops)は、「狭い顔の屋根のあるトカゲ」を意味し、1887年にマーシュによって命名され[11]、ホロタイプは1886年にコロラド州キャノン・シティの北にあるガーデン・パークで Marshall Felch によって産出された。これはステゴサウルスの中で最もよく知られている種である。主な理由は、その化石に少なくとも1つの完全な関節した骨格が含まれているからである。この種は、比例して大きく幅広い皮骨板と丸い尾の皮骨板を持っていた。関節標本は、皮骨板が交互にずらした2列に配置されていたことを示している。ステノプスは、成体と幼体の少なくとも50の部分骨格1つの完全な頭蓋骨、および4つの部分的な頭蓋骨から知られています。他の種よりも背が低く、6.5メートルであった[33]。コロラド州、ワイオミング州、ユタ州のモリソン層で発見された[43]
  • ステゴサウルス・ウングラトゥス(Stegosaurus ungulatus)は、1879年にマーシュによって命名され[10]、「有蹄屋根のあるトカゲ」を意味し、ワイオミング州コモ・ブラフ(ロバーズ・ルースト付近の採石場12)で発見された[6]。ステノプスのシノニムである可能性がある[27]。全長7メートルで[33]、ステゴサウルスの中で最も大きい種であった。ポルトガルで発見され、後期キンメリッジアンから前期チトニアンのものとされるステゴサウルスの断片的な標本が暫定的に本種に割り当てられている[30]。ステゴサウルス・ウングラトゥスは、後肢が長いこと、基部が広く先端が狭い比較的小型の尖ったプレートがあること、尾のサゴマイザーの直前に小さく平らな棘のような皮骨板がいくつかあることで、ステノプスと区別できる。これらの棘のような皮骨板は、同一だが左右対称のペアが少なくとも1つ存在することから、対になっていたと思われる。ステゴサウルス・ウングラトゥスは、他の種よりも脚(大腿骨)と寛骨が長かったと思われる。ステゴサウルス・ウングラトゥスのタイプ標本は8本のサゴマイザーが付いて発見されたが、それらは元の位置から離れて散らばっていた。これは、この動物が4対の尾のサゴマイザーを持っていたことを示していると解釈されることが多い。完全な、または関節した尾のサゴマイザーを持つ標本は見つかっていないが、8本のサゴマイザーが一緒に保存されている追加の標本も見つかっていない。追加の一対のサゴマイザーは別の個体のものである可能性があり、標本とともに他の追加の骨は発見されなかったものの、元の場所でさらに発掘が行われれば、これらが見つかる可能性がある[3]。他の採石場から産出した標本(現在アメリカ自然史博物館の複合骨格 AMNH 650 の一部を構成している)は、尾椎に刻み目があることからウングラトゥスとされているが、尾の突起が4本しか残っていない[6]。ウングラトゥスのタイプ標本(YPM 1853)は、1910年にリチャード・スワン・ルルによってイェール・ピーボディ自然史博物館で初めて展示された剣竜の骨格標本に組み込まれた。当初は一対のプレートが肋骨の基部より上に広く配置されていたが、1924年に背中の正中線に沿ってプレートが2列交互に配置された形で再設置された[14]。アメリカ国立自然史博物館によって同じ採石場から産出された尾椎と追加の大きな皮骨板(USNM 7414)を含む追加の標本は、YPM 1853 と同個体のものである[3]
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国立自然史博物館に展示されているステノプスのタイプ標本
  • ステゴサウルス・スルカトゥス(Stegosaurus sulcatus)は、「溝のある屋根のトカゲ」を意味し、1887年にマーシュによって部分的な骨格に基づき記載された[11]。伝統的にアルマトゥスのシノニムと考えられてきたが[43]、近年の研究ではそうではないことが示唆されている[3]。スルカトゥスは主に、非常に大きな基部を持ち、異常に大きな溝のある棘によって区別される。タイプ標本に関連付けられた棘は、当初は尾のサゴマイザーであると考えられていましたが、その基部が対応する尾椎よりもはるかに大きいため、実際には肩または腰に存在した可能性がある。2008年に Maidment らによって発表された論文では、この棘はステゴサウルスには全く属さず、別の属のものである可能性があり、不確定種と見做された[23][62]。ピーター・ガルトンは、その特徴的な棘のために有効な種として見做されるべきだと示唆した[3]

2008年、Susannah Maidment らは、ステゴサウルスの分類に大幅な変更を提案した。彼らは、ステノプスとウングラトゥスをアルマトゥスと同一種とし、ヘスペロサウルスとウエルホサウルスをステゴサウルスに分類し、それらのタイプ種をそれぞれステゴサウルス・ムジョシ(Stegosaurus mjosi)とステゴサウルス・ホムヘニ(Stegosaurus homheni)とすることを提唱した。彼らはステゴサウルス・ロンギスピヌス(Stegosaurus longispinus)については疑わしいと考えていた。したがって、彼らのステゴサウルスの概念には3つの有効な種(アルマトゥス、ホムヘニ、ミジョシ)が含まれ、北アメリカとヨーロッパの後期ジュラ紀からアジアの前期白亜紀までの範囲になる[23]。しかし、この分類体系は他の研究者によって採用されず、Maidment と Thomas Raven が共同執筆した2017年の系統分類分析では、ヘスペロサウルスとステゴサウルスの同一性が否定されている[3][63]。2015年、Maidment らは、ガルトンがアルマトゥスを疑問名として認定し、タイプ種としてステノプスに置き換えたことを受け、自らの提案を修正した[27]

2024年、Li らは、中国甘粛省の上部河口層群(2000~2004年頃発見)で発見された、前期白亜紀のアプチアンからアルビアンの剣竜類の部分骨格である標本 GSAU 201201 について記載した。この標本は、肋骨が付いた関節した頸椎3個、胴椎3個、肋骨13個、上腕骨、尺骨、橈骨の一部を含む右前肢、および皮骨板1枚で構成される。化石資料の一部の特徴はウエルホサウルスやステゴサウルス・ステノプスとは異なっているが、Li らは新標本をステゴサウルスと見做した。河口層群は他に、曲竜類のタオヘロン英語版の化石も発見されている[1]

疑わしい種と新参異名

  • ステゴサウルス・アルマトゥス(Stegosaurus armatus)は、「装甲屋根のトカゲ」を意味し、最初に発見された種であり、1877年にマーシュによって命名された以前のタイプ種[4]。部分的な骨格が知られており、30を超える断片的な標本が割り当てられている[43]。しかし、タイプ標本は非常に断片的であり、尾、腰、脚の一部、脊椎の一部、および1枚の断片的な皮骨板(この皮骨板の存在がステゴサウルスの名の由来となった)のみで構成されていた。その他の皮骨板やサゴマイザーは発見されず、アルマトゥスの前半分全体が保存されていたわけではなかった[6]。タイプ標本が非常に断片的であるため、より優れた標本に基づく他種との比較が極めて困難であり、現在では一般的には疑問名と見做されている。このため、2013年の動物命名法国際審議会の裁定により、ステゴサウルスのタイプ種はステノプスに置き換えられた[5]
  • ステゴサウルス・"アフィニス"(Stegosaurus "affinis")は、1881年にマーシュによって命名され、失われた恥骨からのみ知られている。マーシュは新種を区別するのに十分な骨の記載しなかったため、この学名は裸名と見做されている[8]
  • ディラコドン・ラティセプス(Diracodon laticeps)は、1881年にマーシュによって顎骨の断片に基づき記載された[64]バッカーは1986年にラティセプスをステノプスの上位同物異名として復活させたが[65]、この標本は判別に適しておらず、ステゴサウルスにのみ関連しているため、疑問名であると指摘する者もいる[6]
  • ステゴサウルス・デュプレックス(Stegosaurus duplex)は、「2つの神経叢を持つ屋根のトカゲ」を意味し、1887年にマーシュによって命名された。バラバラになった骨は実際には1879年に Edward Ashley によってコモ・ブラフで産出された。マーシュは当初、各仙骨(股関節)の椎骨に肋骨があるという事実に基づき、ウングラトゥスと区別した。これはウングラトゥスの解剖学的構造とは異なると彼は主張したが、ウングラトゥスの仙骨は実際には発見されていなかった。マーシュはまた、デュプレックスには皮骨板がなかった可能性があると示唆した。標本には皮骨板やサゴマイザーが保存されていなかったが、実際には近くに1つのサゴマイザーがあった可能性があり、現場地図の再調査により、標本全体が非常にバラバラで散らばった状態で発見されたことが判明した[6]。デュプレックスは現在ではウングラトゥスのシノニムと一般に考えられており、標本の一部は実際に1910年にピーボディ博物館のウングラトゥスの骨格標本に組み込まれていた[3]

再分類された種

  • ステゴサウルス・マルシ(Stegosaurus marshi)は、1901年に Lucas によって記載され、1902年にホプリトサウルス英語版と改められた[66]
  • ステゴサウルス・プリクスク(Stegosaurus priscus)は、1911年にノプシャによって記載され、レクソヴィサウルスに割り当てられた後[43]、現在はロリカトサウルスのタイプ種となっている[23]
  • ステゴサウルス・ロンギスピヌス(Stegosaurus longispinus)は、大部分が失われた断片的な頭蓋骨から派生した骨格に基づき、1914年にチャールズ・W・ギルモアによって命名された[67][8]。現在ではアルコヴァサウルスのタイプ種となっているが、ミラガイアとされていたこともある[68][67]
  • ステゴサウルス・マダガスカリエンシス(Stegosaurus madagascariensis)は、マダガスカルから発見されており、歯のみからなる。1926年に Piveteau によって記載された。マダガスカリエンシスの歯は剣竜類、獣脚類のマジュンガサウルス[69]ハドロサウルス類、さらにはワニ類のものと様々に考えられていたが、現在では曲竜類の可能性があると考えられている[23]
  • ステゴサウルス・ホムヘニ(Stegosaurus homheni)は、1973年に董枝明によって部分的な頭蓋骨以降に基づき記載された、中国の白亜紀の剣竜類であるウエルホサウルス・ホムヘニWuerhosaurus homheni)の別の分類方法である[70]。2008年に Maidment らによってステゴサウルスに分類されたが[23]、依然としてホムヘニは独立した属であると考える者もいる[71][72]
  • ステゴサウルス・ムジョシ(Stegosaurus mjosi)は、ワイオミング州ジョンソン郡のモリソン層から発見された部分的な頭蓋骨と不完全な頭蓋骨以降の骨格に基づき、2001年にカーペンターらによってヘスペロサウルス・ムジョシHesperosaurus mjosi)として記載された。この種は2008年以降、Maidment らによって主にステゴサウルスと分類されたが[73][23]、より多くの化石が発見されて以来、ヘスペロサウルスへの分類が主流となっている[74]
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古生物学

要約
視点
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二足歩行の骨格標本、ヒューストン自然科学博物館英語版

姿勢と動作

発見直後、マーシュはステゴサウルスの前肢が短いことから二足歩行であったと考えた[75]。しかし1891年までに彼は、ステゴサウルスの重い体格を考慮して姿勢を変更した[12]。ステゴサウルスが四足歩行であったことは疑いようがないと考えられているが、後足で立ち上がり、尾を使って後肢と三脚を作り、より高いところにある葉を食べていたかどうかについては議論がある[43]。これはバッカーによって提唱され[65][76]カーペンターによって反対された[26]。Mallison (2010) による研究では、ケントロサウルスが身を起こす姿勢をとっていたという証拠が見つかったが、尾が三脚として機能する能力があったという証拠は見つからなかった[77]

ステゴサウルスは、後肢に比べ前肢が短かった。さらに、後肢のうち、下肢(脛骨腓骨を含む)は大腿骨に比べて短かった。これは、後肢の歩幅が前肢の歩幅を上回ったため、最高速度が時速 15.3から17.9キロメートルとなり、あまり速く歩けなかったことを示唆している[78][44][79]。Matthew Mossbrucker(コロラド州モリソン自然史博物館)が発見した足跡は、ステゴサウルスが複数の年齢の群れで生活し、移動していたことを示唆している。1つの足跡のグループは、4頭または5頭の幼いステゴサウルスが同じ方向に動いていたと解釈されている。また、別のグループには、幼体のステゴサウルスの足跡とそれに重なる成体の足跡がある[80]

交尾の際には皮骨板が障害物となるため、オスが上から後ろから挿入した際にメスのステゴサウルスは横向きに横たわっていた可能性がある。別説では、オスが前肢をメスの腰に支えている間、メスは四つん這いになって前肢をしゃがみ込み、尾を上げてオスの邪魔にならないようにしていたという。しかし、オスの恐竜には可動ペニスや陰茎骨の筋肉付着の証拠がないため、生殖器官が触れ合うことはできなかった[81]

皮骨板の機能

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アロサウルス・フラギリスに攻撃されているかのようにマウントされた成体と幼体のステノプス、デンバー自然科学博物館英語版

ステゴサウルスの皮骨板の機能については多くの議論がなされてきた。マーシュは皮骨板(プレート・骨板・剣板などとも)が何らかの鎧として機能していたと示唆したが[75]、Davitashvili (1961) はこれに異議を唱え、皮骨板は防御目的には脆弱で不適切な位置にあり、動物の側面が保護されていないと主張した[82]。しかし、他の説は防御機能を支持し続けている。バッカーは1986年に、化石化した皮骨板の表面を、角状器官を持つあるいは角状器官を持つと考えられている他の動物の角の骨の芯と比較し、皮骨板が角状器官で覆われていたと示唆した[83]。Christiansen and Tschopp (2010) は、保存状態の良い皮膚印象化石が残るヘスペロサウルスの標本を研究した結果、皮骨板はケラチン鞘で覆われており、それが皮骨板全体を強化し、鋭い刃先を与えていたと結論付けた[53]。バッカーは、ステゴサウルスは皮骨板を左右に回転させ、捕食者に棘や刃の列を見せ、捕食者が十分に接近してステゴサウルスを効果的に攻撃できないようにすることができたと述べている。彼は、継続的な筋肉の努力なしに展示に役立てられるほど、容易に直立するには、皮骨板の幅が不十分だったと主張している[83]。しかし、皮骨板の移動性については他の古生物学者から異論が出ている[84]

皮骨板のもう一つの機能は、動物の体温を調節するのに役立った可能性があるということである[84][85]。これは、ディメトロドンエダフォサウルスなどの盤竜類(および現代のゾウやウサギの耳)の帆と似ていた。皮骨板には溝を通って血管が走っており、皮骨板の周りを流れる空気が血液を冷却したと考えられている[48][86]。鱗の1種という説もある[47]。Buffrénil, et al. (1986) は "骨外層の極端な脈管形成" を発見した[87][84]。これは、皮骨板が "体温調節装置として機能していた" 証拠であると考えられた[87]。同様に、2010年に行われたステゴサウルスの皮骨板とアリゲーター属の皮骨板の構造比較は、ステゴサウルスの皮骨板に体温調節の役割を果たす可能性が確実に存在するという結論を裏付けているようである[88]

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ステゴサウルス標本「ソフィー」の皮骨板

体温調節仮説には重大な疑問が投げかけられてきた。ケントロサウルスなどの他の剣竜類は、皮骨板よりも表面積の小さい突起が多く、冷却は皮骨板のような特殊な構造を必要とするほど重要ではなかったことを示唆している。しかし、皮骨板は動物が太陽からの熱吸収を増やすのに役立った可能性も示唆されている。ジュラ紀末期に向かい寒冷化傾向が起こったため、大型の外温性爬虫類は皮骨板によって増加した表面積を利用して太陽からの放射を吸収した可能性がある[89]。Christiansen and Tschopp (2010) は、滑らかで断熱性のあるケラチンの覆いの存在が体温調節を妨げたと述べているが、現存する牛やアヒルはケラチンの覆いがあるにもかかわらず、角や嘴を使って余分な熱を放出しているので、そのような機能を完全に排除することはできない[53]。皮骨の微細構造の組織学的分析により、皮骨板の急速な成長のために栄養素を輸送する必要性から脈管形成が生じたことが判明した[87][90]

ステゴサウルスが皮骨板の血管系に血液を送り込み、皮骨板を "赤面" の様な赤い警告を発した可能性があるため、皮骨板の血管系は異性へのアピールや縄張りを示したり[79]、脅威を示す役割を果たしていたと理論づけられている[91][92][85]。しかし、剣竜類の皮骨板は皮膚ではなく角状器官で覆われていた[53]。皮骨板は、動物の見かけの身長を高く見せ、敵を威嚇するため[8]、または性的なディスプレイとして同種の他の個体に印象を考慮して役立った可能性があることを示唆している[82]。2015年に行われたヘスペロサウルスの皮骨板の形状と大きさに関する研究では、皮骨板が性的二形性を有し、幅の広い皮骨板はオスのものであり、背の高い皮骨板はメスのものであったことが示唆された[29]。成体になってからも皮骨板は成長し大きくなることが分かった[93]。Christiansen and Tschopp (2010) は、ディスプレイ機能は角質鞘によって強化され、可視表面が増加し、そのような角構造は明るい色をしていることが多いと提唱した[53]。ステゴサウルスの皮骨板は、個体がその種の個体を識別できるようにするために使用されたと示唆する者もいる[90][47]。恐竜の誇張された構造を種の識別に使用することは、現代の種にはそのような機能が存在しないため、疑問視されてきた[94]

サゴマイザー(スパイク)

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尾部に装備されたサゴマイザー

1914年にギルモアが主張したように、尾のサゴマイザーが単にディスプレイのためだけに使われたのか[8]、それとも武器として使われたのかについては議論がある。ロバート・バッカーは、尾には骨化した腱がないため、他の恐竜の尾よりもずっと柔軟だった可能性が高いと指摘し、尾が武器だったという考えに信憑性を与えている。しかし、カーペンターが指摘したように、皮骨板は多くの尾椎に重なり合っており、動きは制限されていたと思われる[26]。バッカーはまた、ステゴサウルスは大きな後肢を動かさず、非常に強力な筋肉を持つが短い前肢で蹴り出すことで、攻撃に対処するために巧みに旋回することができ、後方で簡単に操縦できただろうと考えた[65]

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ステゴサウルスのサゴマイザーによって穿刺されたアロサウルスの尾椎

さらに近年の McWhinney らによるサゴマイザーに関する研究で、外傷による損傷の発生率が高いことが示され、サゴマイザーが実際に戦闘で使用されていたという説にさらなる説得力を与えている。この研究では、調査されたステゴサウルスの標本の9.8%でサゴマイザーに損傷があったことが示された[95]。この考えをさらに裏付ける証拠として、アロサウルスの尾椎に穴が空いており、穴とサゴマイザーが合致し収まっていることが挙げられる。この損傷から、棘が斜め下から入り、刺の一部を上方にずらしたことが分かる。突起の下側の骨が変形していることから、感染が進行したことがうかがえる[96]。実際にサゴマイザーが攻撃用に使用されていたのであれば、アロサウルスなどの存在から身を守ることに役立ったと思われる[97][98]。また、武器を持たない子の身を、親が守っていた可能性がある[99]

ステノプスには4つの皮膚でできたサゴマイザーがあり、それぞれの長さは約60から90センチメートル[100]、太さ10センチメートルであった[101]。関節したステゴサウルスの装甲の発見により、少なくとも一部の種では、これらのサゴマイザーが尾から水平に突き出ていたことが示されており、よく描かれているような垂直ではない[26]。マーシュは当初、ウングラトゥスはステノプスとは異なり、尾に8本のサゴマイザーがあると記載した。しかし、最近の研究でこの点が再検討され、最終的にウングラトゥスも4本だったという結論が出た[6]

その他の皮骨

ステゴサウルスの喉や太腿周辺は鱗の様な小さい皮骨で覆われていた[49][92][102]。特に喉にある皮骨は、急所である首を、アロサウルスの様な外敵の攻撃から守っていたと考えられている[103][79][104]

成長と代謝

ステゴサウルスは幼体化石が保存されており、おそらくステゴサウルスの成長を示していると思われる。発見されている2体の幼体はどちらも比較的小型で、小さい個体は全長1.5メートル、大きい個体は全長2.6 メートルである。標本は肩甲骨烏口骨、および下後肢が癒合していないため、未成熟であると特定できる。また、標本の骨盤部はケントロサウルスの幼体に似ていた[105]。2009年に行われた様々なサイズのステゴサウルスの標本に関する研究では、少なくともこの動物が成熟したサイズに達するまでは、皮骨板とサゴマイザーの組織学的成長は骨格よりも遅かったことが判明した[106]

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ユタ州の恐竜国定公園で、ステゴサウルスの幼体の部分骨格が鋳造の骨と共に展示されている

2013年の研究では、高度に血管化された線維性骨の急速な堆積に基づき、ケントロサウルスはステゴサウルスよりも成長速度が速かったと結論付けられ、大型の恐竜は小型の恐竜よりも速く成長するという一般法則に反した[107]

Wiemann らが2022年にステゴサウルスを含む様々な恐竜の属を対象に行った研究では、同種が現代の爬虫類と同等の外温性(冷血)または超温性の代謝を持っていたことが示唆されている。これは、酸化的リン酸化の副産物であり、代謝率と相関する脂質酸化信号の分光法を用いて明らかにした。Wiemann らは、そのような代謝は鳥盤類全般に共通していた可能性があり、同種グループは内温性(温血)代謝を持つ祖先から外温性へと進化したのではないかと示唆した[108]

食事

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歯冠のイラスト

ステゴサウルスとその近縁属は草食動物だった。しかし、その歯と顎は他の草食性鳥盤類のものとは非常に異なっており、まだよく解明されていない別の摂食戦略を示唆している。他の鳥盤類は、植物質を擦り潰すことができる歯と、単に直角方向以外の平面で動くことができる顎構造を持っていた(つまり、ステゴサウルスの顎はおそらく上下の動きだけに限定されていた)。他の鳥盤類に共通する頑丈な顎と擦り潰す歯とは異なり、ステゴサウルス(およびすべての剣竜類)は、歯と食物の接触に関連する水平方向の摩耗面が観察されている小さな釘状の歯を持っており[109]、その珍しい顎は直角方向(上下方向)のみが可能性であった[43]。ステゴサウルスの歯は "効率的に擦り潰すために、ブロック状にしっかりと押し付けられていなかった"[110]。また、剣竜類の化石記録には、一部の恐竜(および一部の現代の鳥類)が摂取した胃石で擦り潰すのプロセスに役立てたことを示す証拠がないため、ステゴサウルスがその体の大きさを維持するために必要な量の植物を、どのように正確に入手し、処理したのかは "よく解明されていない" ままである[110]

剣竜類は後期ジュラ紀に地理的に広範囲に分布していた[43]。古生物学者は、これら恐竜がコケ類、シダ類、スギナ類、ソテツ類、針葉樹などの植物を食べていたと考えている[111]。仮説的な摂食行動戦略の1つは、ステゴサウルスは低地の草食動物であり、様々な隠花植物等の低成長の葉を食べると考えられている。このシナリオでは、ステゴサウルスは最大で地上1メートルの高さで摂食することになる[112]。しかし、バッカーが示唆したように、ステゴサウルスが二本足で立ち上がることが可能だとすれば、成体は地上6メートルの高さの植物を摂食することができるので、かなり高いところの植物を食べていた可能性がある[44]

2010年には、ステゴサウルスの摂食行動の生体力学に関する詳細なコンピュータ分析が行われ、現実的な物理的特性と特性を考慮した2つの異なるステゴサウルスの歯の3次元モデルが使用された。これらのモデルと既知の頭蓋骨の比率、および様々なサイズと硬さのシミュレーションされた木の枝を使用し、咬合力も計算された。ステゴサウルスの計算された咬合力は、それぞれで前歯140.1ニュートン、中歯183.7ニュートン、奥歯275ニュートンであり、これはその咬合力がラブラドール・レトリバー(550ニュートン)の半分以下であることを意味する[113]。ステゴサウルスは小さい緑の枝なら簡単に噛み切ることができたかもしれないが、直径12ミリメートルを超える枝は噛み切るのが難しかったと思われる。そのため、ステゴサウルスは主に小さな小枝や葉を食べていた可能性があり、この研究で予測されたよりもはるかに効率的に噛むことができなければ、より大きな植物の部分を扱うことはできなかった[114]。しかし2016年の研究で、ステゴサウルスの咬合力はこれまで考えられていたよりも強かったことが示されている。英国自然史博物館の "ソフィー" として知られる標本が代表的であるステゴサウルスと、他の2種の草食恐竜、エルリコサウルスプラテオサウルスを比較し、3種すべてが同様の咬合力とニッチを持っていたかどうかを判断した。研究結果によれば、ステゴサウルスの亜成体の標本は、特に牛や羊といった現代の草食哺乳類と同等の咬合力を持っていたことが明らかになった。このデータに基づけば、ステゴサウルスはソテツなどの木質で硬い植物も食べていた可能性が高く、ソテツの種子を拡散させる手段として機能していた可能性もある[115]

"第二の脳"

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ウングラトゥスの仙腰腔と脳腔の鋳型(左)、および赤でマークされた脳腔(右)

かつて、ステゴサウルスは腰に "第二の脳" を持っていると説明されていた。ステゴサウルスについて記載した直後、マーシュは脊髄の腰の部分に巨大な管があることを発見した。この管には、有名な小さな脳の20倍もの大きさの構造が収容されていた可能性があると指摘した。このことから、ステゴサウルスのような恐竜は尻 "第二の脳" を持ち、それが体の後方部分の反射神経を制御する役割を担っていた可能性があるという有力な考えが生まれた。この "脳" は、捕食者の脅威にさらされたステゴサウルスに一時的な力を与えたと考えられている[44]

しかし、この空間は他の目的に使われていた可能性が高い。仙腰椎の拡張は、剣竜類や鳥盤類に特有のものではなく、鳥類にも存在する。鳥類の場合、グリコーゲン体英語版と呼ばれる構造物が存在しこの構造物の機能ははっきりとは分かっていないが、動物の神経系へのグリコーゲンの供給を促進すると考えられており[116]、ステゴサウルスも同様だったとされる[104]。また、バランス器官、あるいは神経系をサポートする化合物の貯蔵庫として機能することもある[117]

病気

ステゴサウルスが大腿骨に骨髄炎を発症した個体が発見された。発症原因は分かっていないが、外敵によるもの、あるいは自分で付けた傷と推測されている[113]。その他に、サゴマイザーが折れた箇所から感染症になった痕跡も見られた[104]

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古生態学

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モリソン層から発見された成体と幼体の足跡

モリソン層は、雨期と乾期がはっきりしており、平坦な氾濫原がある半乾燥環境であると解釈されている[118][119]。植生は、針葉樹、木生シダ、シダ類の川沿いの森から、ナンヨウスギ属に似た針葉樹のブラキフィラム英語版などの木が時折見られるシダのサバンナまで多様である[120]。この時代の植物相は、緑藻類、菌類、コケ類、スギナ、シダ類、ソテツ、イチョウ、およびいくつかの針葉樹科の化石によって明らかになっている。発見された動物の化石には、二枚貝、カタツムリ、条鰭類、カエル、サンショウウオ、グリプトプス英語版のようなカメ、スフェノドン類、トカゲ、ホプロスクス英語版のような陸生および水生ワニ形類、ハルパクトグナトゥス英語版メサダクティルス英語版といった数種の翼竜、多数の恐竜、梁歯目ドコドン英語版など)、多丘歯目相称歯目真三錐歯目などの初期の哺乳類が含まれる[121]

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スミソニアン国立自然史博物館のディープ・タイム・ホールに展示されている、ステゴサウルスとケラトサウルスの骨格標本 「サゴマイザー対爪」の戦闘姿勢をとっている

ステゴサウルスと共存していた恐竜には、獣脚類のアロサウルスサウロファガナクストルヴォサウルスケラトサウルスマーショサウルス英語版ストケソサウルスオルニトレステスコエルルスタニコラグレウスがいた。この地域を支配していたのは竜脚類は、ブロントサウルスブラキオサウルスアパトサウルスディプロドクスカマラサウルスバロサウルスがいた。その他の鳥盤類には、カンプトサウルスガルゴイレオサウルスドリオサウルスナノサウルス英語版がいた[122][118][120]。ステゴサウルスは、アロサウルス、アパトサウルス、カマラサウルス、ディプロドクスと同じ場所でよく発見されている。ステゴサウルスは、これらの他の恐竜よりも乾燥した環境を好んでいた可能性がある[123]

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文化的意義

要約
視点

19世紀末までに、ステゴサウルスはアメリカで最も注目すべき恐竜の発見の1つとして浮上し、その奇妙な外見に刺激され、科学的研究の領域から一般大衆の想像力の領域へと移行した。1893年、イギリスの古生物学者リチャード・ライデッカーは、マーシュが1891年に発表したステゴサウルスとトリケラトプスの骨格の図に、「マーシュ教授は2つの形態の復元図を発表したが、その奇妙さと荒々しさは想像を絶するほどだった。」と、驚きを示した[124]。ステゴサウルスは恐竜の中でも最もよく知られているものの1つとなり[44]、先史時代の動物に関する一般的な書籍や記事に早くから登場し、20世紀の最初の数十年間には主要な博物館で展示されている恐竜の骨格標本の中でも目立つ位置を占めるようになった。ステゴサウルスは映画、漫画、コミック、子供のおもちゃにも登場してきた。

ステゴサウルスは、その名声の根源の一つとして、コロラド州ソーントンの McElwain Elementary 小学校の4年生のクラスと担任の Ruth Sawdo が始めた2年間のキャンペーンの末、1982年4月28日にコロラド州の公式化石になったことが挙げられる[125]。ステゴサウルスの最初の化石は、コロラド州が連邦に加盟した翌年(1876年)の1877年にコロラド州で発見された[126]

2024年7月17日、"アペックス英語版(Apex)" の愛称で知られる、ほぼ完全な全長8.2メートルのステゴサウルスの骨格が、ニューヨーク市で開催されたサザビーズのオークションで4460万ドル(3400万ポンド)で落札された。これは化石の落札額としては過去最高額である[127]。この標本は2022年にコロラド州の私有地で発見されたため、民間の所有者に売却することが可能性だった。現在の所有者は "アペックス" を科学研究のために利用できるようにしているが、重要な化石標本の個人所有は議論の的になっており、多くの研究者は化石は科学研究の普遍的なアクセスのために正式な機関で永久的に管理されるべきであると主張している[128]

20世紀の著名なアメリカの彫刻家、アレクサンダー・カルダーは、1972年に "ステゴサウルス" として知られる高さ15.2メートル、幅9.7メートルの抽象的な金属彫刻を設計した[129]。セグレ鉄工所で製作され、ボルトで留められた45枚の鋼板で作られたこの記念碑的作品は、鮮やかなオレンジがかった赤色に塗装され、1973年にコネチカット州ハートフォードのバー・モールに、"ステゴサウルス" が水を飲みに近づいていることを彷彿とさせるように噴水付近に設置された[130]。この作品は、ザ・ハートフォード・タイムズ英語版紙を創刊した Alfred E. Burr の記念として発注された。イギリスの植物学者で作家の Nicholas Guppy は、開発初期段階で拡大された三角形の突起を持つ抽象的な彫刻の計画を見て、「先史時代の怪物のようだ」と述べ、この比較から "ステゴサウルス" という名が付けられた[131]。高さ4.5メートル、幅4.2メートルのこの鉄製彫刻の小型模型は現在、オハイオ州トレド美術館の屋外に展示されている[132]。"ステゴサウルス" とも呼ばる、この鮮やかなオレンジがかった赤色の準備段階の作品は、1975年にファーミントンのコネチカット大学ヘルスセンターに設置されたが、2000年にオークションで410万ドルでトレド美術館に売却された[133]

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コネチカット州ハートフォードにあるアレクサンダー・カルダーの鉄の彫刻 "ステゴサウルス"

芸術的表現

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A. Jobin によるステゴサウルスの初期の復元、1884年

ステゴサウルスの初期の化石の発見のほとんどが断片的であったため、この恐竜のかなり正確な復元が完成するまでには何年も必要とした。ステゴサウルスの最も初期の人気画像はフランスの科学イラストレーター、Auguste-Michel Jobin が制作した版画であり[134][135]、1884年11月号のサイエンティフィック・アメリカンなどに掲載され、モリソン層のジュラ紀の風景を背景に恐竜が描かれていた。Jobin はステゴサウルスを二足歩行で首が長く、尾に沿って皮骨板が並び、背中がサゴマイザーで覆われた恐竜として復元した。サゴマイザーで覆われていたのは、歯の誤った解釈に基づいている可能性がある。マーシュは、歯が奇妙な形をしており、円筒形で、散在していることに気付き、小さな皮の棘である可能性があると考えた[136]。マーシュは1891年にステゴサウルスのより正確な骨格復元図を発表し、10年以内にステゴサウルスは最も多く描かれた恐竜の種類の一つとなった[136]。それにも関わらず、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ステゴサウルスの科学的に不正確で、時には空想的な復元図が様々な本や出版物に掲載され、中には這うトカゲのような姿勢を強要したり、皮骨板やサゴマイザーの配置を奇妙にしたりしたものもあった。

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以下はステゴサウルスの初期の不正確な復元図
  • 上: 背中に亀のような装甲で覆われたステゴサウルス Frank Bond (1899)
  • 左下: 装甲が棘のステゴサウルス (1912)
  • 右下: 腹這いになっているステゴサウルス (1896)

著名な芸術家チャールズ・R・ナイト英語版は、科学的根拠に基づいた先史時代の動物の復元を専門とし、その多くは古生物学者の指導や助言の下で進められた。ナイトが数十年に渡り描いたステゴサウルスは、恐竜の解剖学や外観に関する科学的見解の変化を反映していた。ナイトは1897年にステゴサウルス・ウングラトゥスの最初のイラストを発表したが、いずれのイラストもマーシュの1891年の骨格復元に基づき、一列の皮骨板と8本の尾のサゴマイザーで描かれていた。1897年5月のハーパーズ・ニュー・マンスリー・マガジン誌(916ページ)に掲載されたステゴサウルスの絵画では、上半身に長方形のワニのような鱗が一列に並び、腹部に水平の鱗の帯がある装甲恐竜として復元された[137]。1897年11月号のザ・センチュリー・マガジン英語版(22ページ)に掲載されたステゴサウルスの別のインク描写では、恐竜の体が丸い小石のような鱗で覆われており、ある種のトカゲによく似ていた[138]。ナイトの次の作品は、Frederic Lucas の指導のもと制作され、より有名な1901年の絵画で、2列の皮骨板を使用したものである。このイラストは、後に1933年の映画『キングコング』で使用されたストップモーションのステゴサウルスの人形のベースとなった。再び Lucas の指導のもと、ナイトは2年後にステゴサウルスのバージョンを改訂し、交互に2列の皮骨板を持つモデルを制作した。ナイトは1927年に、交互に2列の皮骨板を持つステゴサウルスを描き、尾のサゴマイザーが4本だけになるように更新し、フィールド自然史博物館に展示した。20年後、芸術家ルドルフ・ザリンガー英語版は、1947年にピーボディ博物館の壁画 "爬虫類の時代英語版(Age of Reptiles)" で、交互に皮骨板を持つステゴサウルスを描いた[139]。ステゴサウルスは、ザリンガーの壁画に基づき、1953年9月にライフ誌の表紙に登場した[140]

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チャールズ・R・ナイトによるステゴサウルスの対照的な復元図2枚。1897年にセンチュリー・マガジンに描かれたのは1列の皮骨板と8本の尾のサゴマイザー(左)で、1927年にフィールド博物館の壁画用に2列の皮骨板と4本のサゴマイザーの突起に更新された(右)。

実物大模型

ステゴサウルスは、1904年のセントルイス万国博覧会のために国立自然史博物館が委託した張り子の模型として、初めて一般に公開された。この模型はナイトの最新のミニチュアに基づいており、2列のずらした皮骨板が特徴であり[13]、セントルイス万国博覧会でアメリカ政府ビルに展示された後、1905年にルイス=クラーク100年記念博覧会英語版のためにオレゴン州ポートランドに移された。この模型は、他の先史時代の展示品とともにワシントンD.C.スミソニアン国立自然史博物館(現在の芸術産業館)に移され、1911年に現在の国立自然史博物館の建物に移された。2010年代の博物館の改修後、この模型は再びニューヨーク州イサカ地球博物館英語版に移され、展示された[141]。このモデルには "ステギー(Steggy)" というニックネームが付けられた。

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アメリカ国立博物館にあるステノプスの実物大模型、1911年頃

博物館や公園に展示されているステゴサウルスの実物大模型の中でおそらく最もよく知られているのは、1964年のニューヨーク万国博覧会のダイノランド展示の一部としてシンクレア石油会社英語版のために彫刻家ルイス・ポール・ジョナス英語版が作成した模型である。シンクレア石油会社は1930年代初頭にブロントサウルスを社章として採用し、先史時代の地下石油源(実際には陸生恐竜ではなく海洋微生物から生成)を源を暗示していた。このタイアップを機に、同社は実物大の恐竜模型を一般公開および宣伝用に発注した。最初の模型セットは、ステゴサウルスを含む、1933年から1934年にかけてシカゴで開催されたシカゴ万国博覧会で公開された[142]。1939年のニューヨーク万国博覧会(1939年から1940年)では、改良され更新された新しい恐竜模型が登場し、再びステゴサウルスも含まれていた。シンクレア石油会社の最も有名な恐竜模型は、1964年のニューヨーク万国博覧会(1964年から1965年)のために作られた。ルイス・ポール・ジョナスと彼のスタジオクルーは、塗装されたグラスファイバーと鋼鉄製の内部構造で作られた実物大の恐竜9体を製作し、古生物学者のバーナム・ブラウンエドウィン・ハリス・コルバートジョン・オストロムと協力し、1960年代初頭の科学的アイデア(ティラノサウルスと "トラコドン"(エドモントサウルス)の不正確な直立姿勢、尾を引き摺るブロントサウルスの頭部の誤りなど)を反映した[143]。万国博覧会の終了後、恐竜の模型はアメリカ全土の巡回展に出品され、25州37都市で何百万人ものアメリカ人の目に留まった。スミソニアン博物館は恐竜の受け取りを拒否したため、オリジナルの模型はその後、アメリカ各地の様々な公立博物館や公園に寄贈された[144][145]。オリジナルの7.6メートルのステゴサウルスの模型は1970年にユタ州の恐竜国定公園に運ばれ、現在はクォーリービジターセンター英語版の屋外に展示されており、1964年から2016年までオリジナルの色に復元されていた。

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1964年の世界博覧会のために制作され、1970年にユタ州の恐竜国定公園に寄贈されたステゴサウルスの模型。2016年から元の色に復元されて展示されている。

ステゴサウルスの模型は特に人気があり、ジョナス・スタジオはオリジナルの型から複数のコピーを制作し、博物館やその他の機関が購入した。多くの点で過去の復元となっているティラノサウルスやブロントサウルスの世界博覧会の模型(現在テキサス州ダイナソーヴァレー州立公園英語版に展示されている)とは異なり[146]、ジョナスのステゴサウルスの模型は、垂れ下がった尾(実際には水平に伸びていた)と垂直な尾のサゴマイザー(現在は水平に傾いていると考えられている)を除けば、現代の研究に基づけば比較的正確であるように見える。レプリカの模型には地元のニックネームが付けられ、特に子供たちに人気のアトラクションとなっている。博物館の屋外で公開されているステゴサウルスの模型には、クリーブランド自然史博物館英語版の「ステギー II(Steggie II)」(1997年設置)、マサチューセッツ州ピッツフィールドバークシャー博物館英語版の「ウォーリー(Wally)」(1997年設置、その "クルミ程度" の脳に因みニックネームが付けられた。当初はクリーブランド博物館で「ステギー(Steggie)」(1968年設置)と呼ばれていたが、ピッツフィールドに移され、新しい「ステギー II(Steggie II)」に置き換えられた)、マサチューセッツ州ウースターエコタリウム英語版の「ジークフリート(Siegfried)」または「シギー(Siggy)」(1964年設置)、ジョージア州アトランタファーンバンク自然史博物館英語版の「ステギー(Steggy)」(1992年設置)、ミシガン州ブルームフィールドヒルズクランブルック教育コミュニティーの「ステギー(Steggy)」(1980年に50周年を記念して設置)などがある[147][148][149][150][151]ウィスコンシン州ミルウォーキー公立博物館英語版のステゴサウルスの模型は、1983年に開業した先史時代の生物に関する「第三惑星[注 2](Third Planet)」展示の一部として展示されている[152]。模型の中には、長年に渡り様々な塗装が施され、場合によっては Jonas Studios によって改修、修理、更新されたものもある。

ステゴサウルスに因む名前

ステゴサウルスは、複数の学名の元になっている。あまり知られていない中国産の装盾類、ステゴサウリデス英語版 (Bohlin 1953)(「ステゴサウルスのような」の意)は、ステゴサウルスに似ているという理由で命名されたが、化石は非常に不完全で、主に2つの椎骨と脊椎の一部から構成されている。直立した三角形の装甲板を持つステゴサウルスの印象的な外見は、恐竜とはまったく関係のない動物の学名にも影響を与えた。その中には、アフリカ産の小型のワラジムシ亜目で、体節に「一対の三角形の板状の突起」を持つ Stegosauroniscus (Schmolzer 1974) も含まれる[153]。何らかの形でステゴサウルスに似た名前を持つ他の生物には、Tambja stegosauriformis、(Pola, Cervera & Gosliner 2005)(裸鰓類の1種)、Coleophora stegosaurus (Falkovitsh 1972)(チョウ目の1種)、Panoploea stegosaura (Griffiths 1975)(端脚類の1種)などや、Pseudisobrachium stegosaurus、(Colombo, Gobbi & Azevedo 2021)(ハチ目)、Mengeosphaera stegosauriformis (Liu, Xiao, Yin, Chen, Zhou & Li 2014)(エディアカラの微化石)がある[154]。しかし、肉食性海綿動物の Abyssocladia stegosaurensis (Hestetun, Rapp, Pomponi 2019) は、北マリアナ諸島沖の海底地形「ステゴサウルス・リッジ(Stegosaurus Ridge)」に因み命名された。これは、世界各地にあるステゴサウルスを連想させるギザギザの岩場や尾根の現地名の1つである(台湾の「剣龍稜(Stegosaurus Ridge)」やワシントン州の「Stegosaurus Butte」などが挙げられる)[155][156][157]

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脚注

関連項目

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