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スラップスティック (バンド)
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スラップスティックは、1977年から1986年に活動した[1]、男性声優5人(初期メンバーは、神谷明、曽我部和恭、野島昭生、古谷徹、古川登志夫[2])によって結成された日本のバンド。同バンドはその後、媒体によって「第二次声優ブームの象徴的存在」、「伝説の声優バンド」とも称されるようになった[2]。
スラップスティック
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概要
羽佐間道夫から「役者の特質を生かしてやったらどうか」と提案されたことがきっかけで結成[3]、羽佐間はエグゼクティブプロデューサーとして名前を連ねている。メンバーの所属事務所はバラバラだったが、バンドに関するプロモートはムーブマンが行っていた[4]。
サウンドプロデュースは森雪之丞が担当し、大瀧詠一、かまやつひろし、すぎやまこういち、所ジョージ、弾厚作など著名な作家が楽曲を提供した[5][2]。以上のような顔ぶれで制作された曲目は、グループ・サウンズやコミックソングなど多彩な曲構成であった[5]。
1977年に結成され、テレビドラマ『ふしぎ犬トントン』にバンド単位でゲスト出演し、ラジオ番組も持ち、『レッツゴーヤング』、『'80アニメーション ザ・ベストテン』など多様なテレビ番組・映画に出演。年間2枚のアルバムリリースと、それに合わせて東京と名古屋でニューイヤーとサマーの年間2回のコンサートを行っていた[4]。
1970年頃に起きた第一次声優ブームでは、声優はあまり顔を出さない陰の存在だったとされる[注釈 1]。しかし1977年頃に起きた第二次声優ブームでは、スラップスティックなどの人気声優たちが、上記のテレビ、映画などの他、雑誌のグラビアやアニソン歌手とのイベントなどに顔出しで登場するようになった[2]。
それぞれバンドとは別に、メンバー各個人のソロアルバムのリリース、番組主題歌や挿入歌などを歌ったりしており、本業の声優としても忙しく、バンド単位での活動はスケジュール調整が難しかった。レコーディングも、コーラス部分などは、それぞれが自分のパートだけ個別に収録していた[4]。
1986年まで活動を続けたが(1986年1月12日に日本青年館ホールで三ツ矢込みでコンサートを開いたことが確認されている[6])、自然消滅のように時期が判然としない休眠状態に入るような形で解散となった[4]。
解散後、音源はCD化されずにいたが、2006年3月15日にCD12枚、ライブDVD1枚のBOXセットとして初CD化された[5]。
2007年2月4日に恵比寿天窓.switchにて他界した曽我部・鈴置両名の追悼コンサートが行われた[1]。
2013年9月13日から16日まで天王洲 銀河劇場でリメンバーコンサートを開催。バナナフリッターズ、水島裕、冨永みーな、松野太紀、野島健児が日替わりゲストとして登場した[7]。
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バンド初期
神谷明によるとバンド結成のきっかけは、1977年(第二次声優ブームの)頃に声優仲間でスナックで歌った際、その場の勢いで「バンドやろうか?」という話になったこと。元々趣味でエレキギターをやっていた曽我部がリードギター、野島がサイドギターの担当に決まった。続けて神谷曰く「僕がリズム感のないベース(笑)、ドラムスに古谷君を引っ張り込んで、登志夫ちゃんがギターで加わってバンド活動が始まった」としている[2]。
結成当時は、横浜にあった古谷の実家にメンバーで押しかけ、2階の彼の部屋に音漏れ防止の大きな発泡スチロールの板をかけた上で練習した。元々趣味で始めたバンドだったが、翌1978年に東京・新橋のヤクルトホール(現・ニッショーホール)でのコンサートでは超満員の人気となった[注釈 2]。
しかしスラップスティックが脚光を浴びてから間もなく、神谷が「趣味なら失敗しても“あ、いけねぇ(笑)”で済んだけれど、プロとして活動すればそれは通用しないから純粋にバンド活動を楽しめない。“ゴメン、辞めさせて”」とメンバーに頼んでバンドを脱退した[2]。
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メンバー
元メンバー
ディスコグラフィー
シングル
アルバム
オリジナル・アルバム
ライブ・アルバム
ベスト・アルバム
CD-BOX
参加楽曲
タイアップ
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脚注
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