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セビリア万国博覧会
1992年にスペインのセビリアで開催された国際博覧会 ウィキペディアから
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セビリア万国博覧会(セビリアばんこくはくらんかい西: Exposición Universal de Sevilla 1992)は、1992年にスペイン南部、アンダルシア州の州都セビリア(Sevilla)で開催された国際博覧会である。


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概要
1970年の日本万国博覧会(大阪万博)以来の一般博であり、176日間の会期(4月20日 - 10月12日)の間に総入場者数は約4181万人に及んだ。会期中には112以上の国・地域が参加したとされている。[2] 1492年に「新大陸」に到達してから500周年に当たる記念行事として設定され、クリストファー・コロンブスの墓があるセビリアを会場として、「発見の時代」をテーマに掲げた。万博の最終日は、クリストファー・コロンブス艦隊が1492年に「アメリカ大陸の発見」を果たし、バハマ諸島のサン・サルバドル島(グァナハニ島)へ上陸した日付(10月12日)に合わせられていた。[3]
開催の経緯とテーマ
主催者はスペイン政府、アンダルシア州およびセビリア市などで、100を超える国と国際機関が参加した。[4] テーマは「発見の時代(The Age of Discovery)」であり、16世紀以降の航海・科学・文化・技術の進歩を「人類の旅」として表現した。会場中央には「発見の大道(Road of the Discoveries)」と呼ばれるゾーンが設けられていた。ただし、このテーマは「ヨーロッパ中心の歴史観を肯定している」との批判も出ており、新大陸の“発見”を祝うという歴史観が植民地主義的視点を温存している、という指摘がある。[5]
会場と施設
会場面積は約215 ヘクタール。セビリア市北部、グアダルキビル川に浮かぶラ・カルトゥハ島を中心に整備された。中心部には噴水や運河が設けられ、夏季の高温環境にも配慮された設計となっていた。[6] 各国パビリオンのほか、スペイン政府によるテーマ館、企業・自治体パビリオンも多数出展し、日本館、中国館、サウジアラビア館などが高い人気を集めた。[7]
インフラ整備

開催にあたって、スペイン政府は大規模なインフラ整備を行った。なかでも最大規模の事業が、高速鉄道AVE(Alta Velocidad Española)のマドリード-セビリア間(約500 km)であり、1992年4月21日より営業運転を開始した。[8] これによりスペイン初の高速鉄道サービスが実現し、所要時間は従来の約7時間から約2時間半へと短縮された。[9] さらに、セビリア新中央駅(サンタ・フスタ駅)の開業、環状高速道路SE-30の整備や新空港ターミナルの建設、建築家サンティアゴ・カラトラバ設計の橋梁「アルアミッロ橋(Puente del Alamillo)」の完成など、都市全体の近代化が図られた。[10]
レガシー(遺産)


博覧会終了後、会場の一部は「カルトゥハ93(Cartuja 93)」と呼ばれるハイテク産業・研究拠点として転用され、またテーマパーク「イスラ・マヒカ(Isla Mágica)」が開園するなど、都市再生の契機となった。[11][12] 一方で、施設の一部が老朽化・放置化し、跡地活用の課題も指摘されている。[13] それでも、AVE開通をはじめとする交通インフラの整備は、スペイン全体の経済・観光振興に大きな影響を与え、以後の高速鉄道網拡大のモデルケースとなった。[14]
意義
セビリア万博は、スペインが民主化以降に世界に向けて発信した国際的大事業であり、同年のバルセロナオリンピックと並んで「1992年のスペイン復権」を象徴する出来事となった。歴史的記念性、経済的波及効果、都市インフラ整備という三要素を兼ね備えたこの博覧会は、20世紀後半の「成功した博覧会」の一つとして位置づけられている。
日本による出展
日本政府もこの万博には参加した。総合プロデューサーは作家の堺屋太一が務め、木造のパビリオンは建築家の安藤忠雄が設計した。館内では安土城天守閣の最上部(5-6階)の原寸復元がメイン展示として紹介され、6代目尾上丑之助(現在の5代目尾上菊之助)による歌舞伎などの上演も行われた。万博終了後、安土城の原寸復元は滋賀県近江八幡市の「安土城天主信長の館」へ移築され、現在でも公開されている。
また、万博開催構想を発表していた愛知県がPR活動を行った。この時の活動の一部は2005年開催の2005年日本国際博覧会(愛知万博)へとつながっている。
セビリア万博の際にはサンタ・マリア号らコロンブスの船団を成した3隻の船や、フェルディナンド・マゼランの船団においてただ1隻、世界一周を果たして帰還したビクトリア号の復元船が建造されていた。復元船ビクトリア号は愛知万博にあわせて世界一周に挑み、その途上、万博開催期間中の名古屋港にも寄港している。
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関連項目
脚注
外部リンク
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