トップQs
タイムライン
チャット
視点

ダリル・ウェイ

ウィキペディアから

Remove ads

ダリル・ウェイDarryl Way1948年12月17日 - )は、イギリスヴァイオリニストプログレッシブ・ロック・バンド、カーヴド・エアのオリジナル・メンバーとして知られる。

概要 ダリル・ウェイDarryl Way, 出生名 ...

来歴

王立音楽大学ヴァイオリンを学ぶ。フランシス・モンクマン等とシシファスを結成し、その後カーヴド・エアと改名して1970年にアルバム『エア・コンディショニング』でデビュー。同作には、インストゥルメンタル・ナンバー「ヴィヴァルディ」収録。

1972年にカーヴド・エアを脱退。その後、ジョン・エサリッジ(ギター)、デク・メセカー(ベース)、イアン・モズレイ(ドラムス)と共にダリル・ウェイズ・ウルフを結成。同バンドは、イアン・マクドナルドがプロデュースを担当した『カニス・ループス』(1973年)でデビュー。3作目『群狼の夜の歌』(1974年)ではジョン・ハドキンソン(ボーカル、元イフ)が加入するが、同作を最後にウルフは解散。ジョン・エサリッジはソフト・マシーンに、デク・メセカーはキャラヴァンに加入。イアン・モズレイは、1980年代以降マリリオンで活動。

1974年、カーヴド・エアに復帰。また、オランダのプログレッシブ・ロック・バンド、トレースのアルバム『鳥人王国』(1975年)に、イアン・モズレイと共に参加[1]1976年にカーヴド・エアを再び脱退し、1978年にソロ・アルバム『コンチェルト・フォー・エレクトリック・ヴァイオリン』発表。同作にはフランシス・モンクマンも参加し、フランシスはその後も、ダリルのクラシック・プロジェクトであるエレクトラ・アンサンブル等に関わる。ダリルはセッション・プレイヤーとしても幅広く活動し、ゴングマリアンヌ・フェイスフルジェスロ・タル等の作品に参加。1980年には、カーヴド・エア時代の盟友ソーニャ・クリスティーナのソロ・デビュー作『ソーニャ・クリスティーナ』の制作にも協力。

1990年、再結成カーヴド・エアのライブ活動に参加。1996年、初のオペラ作品『The Master and Margarita』(ミハイル・ブルガーコフの小説『巨匠とマルガリータ』が原作)を制作し、ロンドンのPalace Theaterで初演[2]2000年代には、Verismaというクラシカル・クロスオーバーのユニットでも活動。2008年にはカーヴド・エアを再々結成させる。

Remove ads

ディスコグラフィ

カーヴド・エア

『エア・カット』『ラヴ・チャイルド』『リボーン』を除く全作に参加

ダリル・ウェイズ・ウルフ

  • 『カニス・ループス』 - Canis Lupis (1973年)
  • 『サチュレーション・ポイント(飽和点)』 - Saturation Point (1973年)
  • 『群狼の夜の歌』 - Night Music (1974年)

ソロ・アルバム

  • 『コンチェルト・フォー・エレクトリック・ヴァイオリン』 - Concerto for Electric Violin (1978年)
  • 『ザ・ヒューマン・コンディション』 - The Human Condition: Suite for String Orchestra, Piano and Percussion (1987年)
  • Under the Soft (1991年)
  • 『コンチェルト・バイ・バッハ、モーツァルト・アンド・ヴィヴァルディ』 - Concertos By Bach, Mozart And Vivaldi (1995年) ※ダリル・ウェイ・ウィズ・エレクトラ・アンサンブル名義
  • Ultra Violins (2013年)
  • Children Of The Cosmos (2014年)
  • Myths, Legends And Tales (2016年)
  • 『組曲「四季」』 - Vivaldi's Four Seasons In Rock (2018年)
Remove ads

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads