トップQs
タイムライン
チャット
視点
チック・ガンディル
アメリカ合衆国の野球選手 (1888-1970) ウィキペディアから
Remove ads
チック・ガンディル(英語: Chick Gandil, 本名:チャールズ・アーノルド・ガンディル(Charles Arnold Gandil, 1888年1月19日 - 1970年12月13日)は、アメリカ合衆国ミネソタ州セントポール出身の元プロ野球選手(一塁手)。右投右打。
Remove ads
経歴
1906年にプロ入りし、1910年にシカゴ・ホワイトソックスでメジャーデビュー。その後、ワシントン・セネタースとクリーブランド・インディアンスでキャリアを重ね、1917年にホワイトソックスへ復帰した。この年はレギュラー一塁手としてワールドシリーズ制覇に貢献した。
2年後の1919年にもリーグ優勝に貢献し、チームはシンシナティ・レッズとのワールドシリーズに駒を進める。だが、当時のチームと球団フロントとの関係は良好と言えず、ホワイトソックスのオーナーであるチャールズ・コミスキーは、必要な経費を出さない極端な吝嗇家だった。当時ホワイトソックスの選手たちは他のどのチームより低賃金でプレーさせられ、ついにはユニフォームのクリーニング代も選手の自腹としたため、彼らのユニフォームはトレードマークであるはずの白ソックスまで常に黒ずんでいた。そのために、彼らは「ブラックソックス」と揶揄されるありさまであった。
こうした仕打ちに耐えかねていた選手たちのうち、賭博の主導者であるアーノルド・ロススタインの手下の誘いに乗り、最初に八百長に手を染めたのがこのガンディルである。ロススタインはガンディルに敗退行為に協力する選手を集めさせた。そしてシリーズは投打の主力が八百長に加わったこともあり、5勝3敗でレッズが球団初のワールドシリーズ優勝を果たした[1]。
その2年後の1921年、ガンディル、同じく八百長に手を染めたシューレス・ジョー・ジャクソン、エディ・シーコットら8人を球界から永久追放とする処分を下された(この事件については、ブラックソックス事件も参照)。
上記の事件により球界を去った後は少年時代を過ごしたカリフォルニア州に戻り、配管工に転身した。その後、1970年に心不全により死去した。
2025年5月13日、メジャーリーグ機構は、永久追放処分対象者のうち既に故人である17名について、資格回復を発表[2][3]。復権を遂げた。
Remove ads
詳細情報
年度別打撃成績
Remove ads
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads