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ティム・アンロー
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ティモシー・ブライアン・アンロー(Timothy Brian Unroe , 1970年10月7日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州出身の元プロ野球選手(内野手)。2001年に中日ドラゴンズに所属した。
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来歴・人物
1992年のMLBドラフト28巡目でミルウォーキー・ブルワーズに入団。1995年、メジャー初昇格。
1999年にアナハイム・エンゼルス、2000年にアトランタ・ブレーブスと渡り歩く。
2001年に中日ドラゴンズに入団。オジー・ティモンズと共に、前年に退団した4番打者・レオ・ゴメスの穴を埋める存在として期待され、入団当初は「日本の投手に慣れさえすれば、日本でうまくやっていく自信はある」と語っており、当時の監督だった星野仙一はロバート・ローズ級の活躍が出来ると太鼓判を押す程であった。ところが、オープン戦から調子が上がらず、ティモンズや李鍾範との外国人枠争いに敗れ開幕二軍スタートとなる。その後も調子は上がらず、ティモンズも今一つだったことから、5月にゴメスが復帰すると助っ人打者が4人となりますます出番が無くなってしまった。その後李が起用に不満を訴え退団、ティモンズと入れ替えで一軍に上がるも、サードにはゴメスや福留孝介、ファーストには山崎武司がおり、僅か4試合の出場に限られてしまうなどチャンスに恵まれなかったが、そこで1安打しか打てなかったことが決定打となり二軍落ち。閉幕を待たずシーズン中の8月2日に解雇され退団となった。
帰国後の2002年はブルワーズ傘下のマイナーリーグでプレーするも、メジャーに復帰することは出来ずにこの年限りで現役引退。
引退後はアリゾナ州・メサにあるバッティングセンターで野球指導を行っている。
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詳細情報
年度別打撃成績
記録
- NPB
背番号
- 8 (1995年)
- 9 (1996年 - 1997年)
- 36 (1999年)
- 20 (2000年)
- 9 (2001年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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