トップQs
タイムライン
チャット
視点

ディック・スチュアート

アメリカ合衆国の野球選手 (1932-2002) ウィキペディアから

ディック・スチュアート
Remove ads

リチャード・リー・スチュアート(Richard Lee Stuart、1932年11月7日 - 2002年12月15日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身の元プロ野球選手内野手)右投げ右打ち。

概要 基本情報, 国籍 ...

愛称はドクター・ストレンジグローブ(Dr. Strangeglove)、石の指(Stonefinger)他(後述)。

Remove ads

経歴

ピッツバーグ・パイレーツに入団。メキシカンリーグでのプレーを経て、1958年にメジャー初昇格を果たした[1]。パイレーツ時代の1960年には23本塁打、83打点を記録した。ポストシーズンではニューヨーク・ヤンキースとの対決となったワールドシリーズ第7戦ではビル・マゼロスキーのサヨナラ本塁打の時には、ネクスト・バッタースボックスにいた。

1961年は自身初となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。最終的に35本塁打、117打点を記録した。

1963年ボストン・レッドソックスに移籍するが、この年いずれも自己最多の42本塁打、118打点を記録しアメリカンリーグ打点王に輝いた。

1964年も28本塁打、95打点を記録する。

1965年フィラデルフィア・フィリーズ1966年にはニューヨーク・メッツさらにロサンゼルス・ドジャースに移籍。

1967年に当時の大洋ホエールズに入団。MLB時代は3打席連続本塁打を記録するなど、NPB入りまでに通算227本塁打。チーム初のMLB経験選手入団で期待は大きく、NPB1年目は打率.280、33本塁打と活躍した。しかし、翌年は打撃成績が半減し、守備の怠慢も目立ったため同年で退団した。

1969年カリフォルニア・エンゼルスと契約し、MLBに復帰した。これはNPBからMLBに復帰した初の事例だった[注 1]

2002年12月15日にで死去した[2]

Remove ads

人物

愛称はスチュ(Stu)[3]ドクター・ストレンジグローブ(Dr. Strangeglove)[3]ボストン・ストレンジャー(Boston Strangler)[3]石の指Stonefingers鉄のグローブを持つ男(The Man With the Iron Glove)という愛称もある[3]。「奴の指は全部親指だ」という守備の拙さに対する例えもあり、1イニング3つの普通のファーストゴロをアウトにしただけで、観客からスタンディングオベーションされたこともある[4]

NPB初打席初本塁打の相手は、こちらもプロ初先発江夏豊だった。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...

タイトル

MLB

記録

MLB
NPB

背番号

  • 7(1958年 - 1965年、1966年途中 - 同年終了)
  • 17(1966年 - 同年途中)
  • 10(1967年 - 1968年)
  • 5(1969年)

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads