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トニー・カーティス
アメリカの俳優、プロデューサー (1925-2010) ウィキペディアから
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トニー・カーティス(Tony Curtis, 1925年6月3日 - 2010年9月29日[1])は、アメリカ合衆国の映画俳優、映画プロデューサー、画家。本名バーナード・シュウォーツ(Bernard Schwartz)。
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来歴
要約
視点


ニューヨークのブロンクス区で生まれる。貧しいハンガリー系ユダヤ人移民[2]の長男であったカーティスは、少年時代は貧しさから非行に走るが、更生し海軍に入隊。除隊後に演技を学び、エージェントに見出されて1948年、ユニバーサル映画と契約し、バート・ランカスター主演『裏切りの街角』の端役で俳優デビューを果たし台詞の無いダンスの場面でユニバーサルにファンレターが殺到、翌年ジェームズ・ステュアート主演の『ウィンチェスター銃'73』で兵士役で助演、奇遇にも生涯の好敵手となるロック・ハドソンがスー族の酋長役で助演。初主演は『盗賊王子』である。
1950年代から甘いマスクの二枚目スターとして活躍、マネーメイキングスターの上位に位置する売れっ子となる。また『手錠のまゝの脱獄』での演技でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされている。
主な出演作はランカスターと組んだ『空中ぶらんこ』と『成功の甘き香り』、同じくニューヨーカーのカーク・ダグラスと共演した『ヴァイキング』と『スパルタカス』だが本領発揮はコメディ演技でケーリー・グラントの第一回独立プロ作品『ペティコート作戦』の副艦長役で成功、更にジャック・レモンとW主演の『お熱いのがお好き』と『グレート・レース』、以降はヘンリー・フォンダが共演したコメディ『結婚専科』に、実在の犯罪者を熱演した『絞殺魔』といったように対極キャラクターを演じきり、そして国際オールスターキャスト『モンテカルロ・ラリー』に主演、『暗黒街の顔役』、『マリリンとアインシュタイン』など。テレビシリーズ『ダンディ2 華麗な冒険』では共演のロジャー・ムーアとの絶妙のコンビネーションが光った。
1978年の『がんばれ!ベアーズ大旋風 -日本遠征-』では若山富三郎らと共演。来日もしている。その映画の中で、マスクマンとなり日本のプロレスラー、アントニオ猪木と対決する場面があるが、マスクをかぶっているため本人かどうかは不明(ただしアルゼンチン・バックブリーカーはカーティス本人が受けている)。
2005年、クエンティン・タランティーノが監督した『CSI:科学捜査班5』のシーズン・フィナーレに特別出演。2006年には肺炎で一時危篤状態となったが[3]、2008年、映画『デイヴィッド・アンド・ファティマ』に出演し復帰した。同年、自伝『American Prince: A Memoir』も出版している[4]。
2009年、『お熱いのがお好き』で共演したマリリン・モンローとの不倫関係を著書『ザ・メイキング・オブ・サム・ライク・イット・ホット』にて告白した。2010年、ネバダ州で開催されたアート・イベントに出席している最中に呼吸困難に陥り、入院したと報じられた。
結婚歴は5回で、女優ジャネット・リーやクリスティーネ・カウフマンの夫でもあった。リーとの間に生まれた次女は女優のジェイミー・リー・カーティス。
晩年は画家としての評価も高かった。
2010年9月29日、ネバダ州ラスベガスの自宅で心不全のため死去。85歳没[1]。カーティスの遺志により、およそ4400万ドルの遺産はすべてカーティスを看取ったジル夫人にのみ遺されることとなった。
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主な出演作品
テレビ
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受賞歴
アカデミー賞
- ノミネート
- 1959年 アカデミー主演男優賞:『手錠のまゝの脱獄』
ゴールデングローブ賞
- ノミネート
- 1959年 主演男優賞 (ドラマ部門):『手錠のまゝの脱獄』
- 1969年 主演男優賞 (ドラマ部門):『絞殺魔』
脚注
外部リンク
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