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トム・マストニー

アメリカ合衆国の元プロ野球選手 ウィキペディアから

トム・マストニー
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トーマス・レイモンド・マストニー・ジュニアThomas Raymond "Tom" Mastny Jr., 1981年2月4日 - )は、インドネシア出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

概要 基本情報, 国籍 ...

インドネシア生まれとしては初のMLBNPB選手である。

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経歴

要約
視点

両親がボルネオ島を旅行中に生まれた。その後はアメリカ合衆国インディアナ州ジオンズビル英語版で育った。

大学時代は「ミスター・ナスティ」の愛称で呼ばれ、先発投手としてプレーした。

2003年にはサザン・カンファレンス英語版の年間最優秀投手に選出された。

2003年MLBドラフトトロント・ブルージェイズから11巡目で指名され入団。傘下のマイナー球団オーバーン・ダブルデイズでプロとしてのキャリアを始めた。

2004年チャールトン・アレイ・キャッツでプレーした後、ジョン・マクドナルドとの交換トレードでクリーブランド・インディアンスへ移籍した。

2005年の開幕当初はHigh-Aキンストン・インディアンス英語版で先発ローテーションに入っていたが、シーズン途中にリリーフにコンバートされた。シーズン後半には2Aのアクロン・エアロズに昇格した。

2006年も引き続きエアロズで開幕を迎え、その後3Aのバッファロー・バイソンズへ昇格した。この年はシーズン途中にクローザーのボブ・ウィックマンが放出されたこと、中継ぎが不調だったことから、マストニーは初のメジャー昇格を果たすこととなった。7月25日にメジャーデビューを果たし、マイナーではそれまで主に中継ぎを務めていたこともあってキャリアでわずか3セーブしか記録していなかったが、8月19日タンパベイ・デビルレイズ戦ではメジャー初セーブを記録した。

2007年ボストン・レッドソックスとのリーグ優勝決定戦では第2戦の10回裏に登板。同点という場面でデビッド・オルティーズマニー・ラミレスマイク・ローウェルの中軸を3者凡退に打ち取り、11回表にインディアンスが勝ち越したことにより、マストニーにポストシーズン初勝利が記録された。

2008年は春季キャンプでホルヘ・フリオとロースター枠最後の1枠を争ったが、争いに敗れたことにより開幕は3Aで迎えることとなった。しかし、4月15日にジョー・ボロウスキーが故障者リストに入ったことにより昇格。6月3日のテキサス・レンジャーズ戦ではメジャー初先発を果たした。

オフにインディアンスがマストニーの保有権をNPBの横浜ベイスターズに売却し、マストニーがベイスターズと1年契約(オプション1年付き)を結んだことが明らかになった[1]。2008年12月17日にはベイスターズがマストニーの獲得を正式に発表した[2]

2009年は先発、中継ぎの両方で起用されたが、制球がいい投手という前評判とは違い、四死球が非常に多く制球難に苦しんだ。4月30日に阪神甲子園球場で行われた阪神戦では、6 1/3回無失点と好投したが、チームは2点リードの9回裏2死無走者から逆転サヨナラ負けを喫した。それから約2ヵ月後の6月28日、同じく阪神甲子園球場で行われた阪神戦でも、6 0/3回無失点と好投したが、またしてもチームは2点リードの9回裏に逆転サヨナラ負けを喫した。結果を残せず1年で解雇。

2010年は、独立リーグであるアトランティックリーグサマセット・ペイトリオッツでプレーした。

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プレースタイル・人物

140km/h中盤のストレートスライダーを軸に、カーブチェンジアップを投げ分ける。

詳細情報

年度別投手成績

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年度別守備成績

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記録

NPB

背番号

  • 40 (2006年 - 2008年)
  • 42 (2009年)

脚注

関連項目

外部リンク

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