トップQs
タイムライン
チャット
視点
ナイキジャガー
ウィキペディアから
Remove ads
ナイキジャガー[1]とは日本の競走馬、種牡馬である。地方競馬に所属し、おもに南関東公営競馬の大井競馬場で走り、羽田盃、京浜盃、黒潮盃などに優勝した。
![]() |
![]() | この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
Remove ads
戦績
1995年9月25日にサラ系3歳新馬を的場文男騎乗で勝利し、その後特別戦2連勝をはさんで川崎競馬の全日本3歳優駿に出走。笠松から遠征してきたフジノハイメリットに次ぐ単勝2番人気に推されたが、3頭出しであった地元・川崎競馬の八木仁厩舎の1頭ホウシュウサルーンにクビ差で敗れ2着となり、3歳シーズンを終える。
翌1996年は2月19日に行われた京浜盃から始動、続く4月9日の黒潮盃と重賞を2連勝し、主役の一頭としてクラシックシーズンを迎えることになる。
第41回羽田盃でも単勝1番人気に応え快勝。同年から春に移動した三冠第2戦東京王冠賞、続く第3戦東京ダービーでの主戦的場の初ダービー制覇への期待が高まったが、羽田盃後に骨折が判明し、長期休養を余儀なくされる。
翌1997年4月9日、第3回マイルグランプリで11か月ぶりに復帰。単勝3番人気に推され、レースでは先行して粘り込み2馬身差の2着となる[4]。5月21日に行われた大井記念では単勝2番人気に推されたが、重賞初挑戦であったアブクマポーロの前に完敗の3着となり、結局これが現役最後のレースとなった。
その後脚部不安で休養、復帰を目指すも結局断念し、1999年5月28日付けで地方競馬の競走馬登録が抹消された[3]。引退後は九州で種牡馬となった。
Remove ads
競走成績
以下の内容は、netkeiba.com[5]、JBISサーチ[6]、地方競馬全国協会[3]に基づく。
Remove ads
種牡馬
競走馬として登録された産駒はわずかに7頭で、おもに荒尾競馬で出走したが、特筆すべき成績を残した産駒はいない。2004年7月1日に用途変更され[2]、以後の消息は不明。
血統表
ナイキジャガーの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ミスタープロスペクター系 |
[§ 2] | ||
父 *ジェイドロバリー Jade Robbery 1987 黒鹿毛 アメリカ |
父の父 Mr.Prospector1970 鹿毛 |
Raise a Native | Native Dancer | |
Raise You | ||||
Gold Digger | Nashua | |||
Sequence | ||||
父の母 Number1979 鹿毛 |
Nijinsky | Northern Dancer | ||
Flaming Page | ||||
Special | Forli | |||
Thong | ||||
母 チュウオーエビス 1986 青鹿毛 |
ハワイアンイメージ 1977 黒鹿毛 |
*ファーザーズイメージ 1963 | Swaps | |
Cosmah | ||||
*ハワイアンドーン 1969 | *カウアイキング | |||
Irish Chorus | ||||
母の母 トキワキミコ1977 鹿毛 |
*ヴィミー 1952 | Wild Risk | ||
Mimi | ||||
タマエビス 1968 | *ファラモンド | |||
クリエイション F-No.14-c | ||||
母系(F-No.) | 14号族(FN:14-c) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Native Dancer4×5=9.38% | [§ 4] | ||
出典 |
Remove ads
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads