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ノーラ・エフロン

アメリカの脚本家、映画監督 (1941-2012) ウィキペディアから

ノーラ・エフロン
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ノーラ・エフロンNora Ephron1941年5月19日 - 2012年6月26日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の脚本家映画監督である。

概要 ノーラ・エフロン Nora Ephron, 生年月日 ...

ロマンティック・コメディの名手として知られ、いずれもメグ・ライアンが主演となった『恋人たちの予感』(1989年)、『めぐり逢えたら』(1993年)、『ユー・ガット・メール』(1998年) で知られている。これまで3回アカデミー賞候補になっている。

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来歴

両親共に脚本家で(父はヘンリー・エフロン、母はフィービー・エフロン)2人の姉妹も脚本家(エイミー・エフロン、デリア・エフロン)。ユダヤ系で、ビバリーヒルズで育つ[2]

ジャーナリストを志しウェルズリー大学で学び(学位政治学)、インターンとしてホワイトハウスに入ったこともある。エスクァイア誌、ニューヨークマガジン誌、ニューヨーク・ポストに寄稿し、エッセイ集『乱交パーティーのウォールフラワー』(1970年)はベストセラーになりエッセイストとして活躍した[3]

著名なジャーナリスト、ウォーターゲート事件カール・バーンスタインとの離婚が大きな話題となり、その離婚を題材にした小説『ハートバーン』が出版された後、エフロンは共同脚本の処女作『シルクウッド』(1983年)でアカデミー賞にノミネートされる脚本家となった。
カール・バーンスタインと結婚していた時期を題材にしたマイク・ニコルズ監督、エフロン脚本の映画「心みだれて」(1986年)も制作した[4]
その後、『恋人たちの予感』(1989年)、『めぐり逢えたら』(1993年)で、計3回脚本賞にノミネートされた。

1992年、妹のデリア・エフロンと共同脚本で『ディス・イズ・マイ・ライフ』で監督としてデビュー[5]、翌1993年にトム・ハンクスメグ・ライアン共演の『めぐり逢えたら』が大ヒット、その後2人の再共演が話題となった1998年『ユー・ガット・メール』が自身最高の興行収入を記録するなど、ハリウッドを代表する女性監督の一人として活躍した。

脚本家時代を加えるとメグ・ライアンとは通算4度タッグを組んでおり、特に『恋人たちの予感』『めぐり逢えたら』『ユー・ガット・メール』はライアンとエフロン双方の代表作となっており、また2人がロマンティック・コメディの女王・名手などの異名を馳せるようになった作品群となっている。また、メリル・ストリープとも3度タッグを組んでおり、その内2回で彼女はアカデミー賞の主演女優賞候補となっている[6]

2012年6月26日白血病のため死去[7]71歳没

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脚本とフィルモグラフィー

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著書

脚注

外部リンク

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