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マイク・ニコルズ

アメリカの映画監督、舞台演出家 (1931-2014) ウィキペディアから

マイク・ニコルズ
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マイク・ニコルズMike Nichols1931年11月6日 - 2014年11月19日)は、アメリカ合衆国映画監督舞台演出家。史上16人しかいないグラミー賞アカデミー賞トニー賞エミー賞4賞受賞者である。

概要 マイク・ニコルズ Mike Nichols, 本名 ...
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来歴

ドイツベルリンにて生まれる。本名はミハイル・イゴール・ペシュコヴスキー(Mikhail Igor Peschkowsky)。父親はウィーン出身のユダヤロシア人の内科医で、1920年頃ドイツに移り住んだ。母親はユダヤ系のドイツ人であった[1]

1939年4月、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害から逃れるため、当時7歳のニコルズは3歳年上の兄とともにアメリカに渡った。父親はその数ヶ月前に単独でアメリカに脱出しており、同年4月28日に一家はニューヨークに移った。イタリア経由でヨーロッパを発った母親とは1940年に再会した[2][3]

シカゴ大学で医者になるため勉強していたが中退。1953年、ニューヨークに帰りリー・ストラスバーグの下でメソッド演技法を学ぶ[4]。しかし舞台の仕事は得られなかったためシカゴに舞い戻り、1955年に「コンパス・プレイヤーズ」(「セカンド・シティ」の前身)に加わる。そこで知り合ったエレイン・メイ1958年に喜劇コンビ「ニコルズ・アンド・メイ」を結成する。1962年には「ニコルズ・アンド・メイ」でグラミー賞の最優秀コメディ・パフォーマンス賞を受賞。

やがてオフ・ブロードウェイの舞台に出演。その後、演出も手がけるようになり、ブロードウェイで活躍。1964年の「Barefoot in the Park」での監督賞などトニー賞を7つ受賞している。

1966年、『バージニア・ウルフなんかこわくない』で映画監督としてデビュー。この作品はアメリカ映画における検閲制度であるヘイズ・コードが撤廃されるきっかけとなった。さらに翌年の『卒業』でアカデミー監督賞を受賞し、アメリカン・ニューシネマを代表する映画監督となった。

妻は『グッド・モーニング・アメリカ』(米・ABC)でアンカーを務め、現在は『ABCワールドニュース』(米・ABC)アンカーとしてアメリカを代表するニュースキャスターであるダイアン・ソイヤー。息子は映画監督のマックス・ニコルズ[5]

2014年11月19日心不全で逝去。83歳没[6]

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主な作品

映画

舞台

  • Barefoot in the Park (1963年)
  • Luv (1964年)
  • おかしな二人 The Odd Couple (1965年)
  • The Apple Tree (1966年)
  • The Little Foxes (1967年)
  • Plaza Suite (1968年)
  • The Prisoner of Second Avenue (1971年)
  • Uncle Vanya (1973年)
  • Streamers (1976年)
  • Comedians (1976年)
  • Fools (1981年)
  • The Real Thing (1984年)
  • Hurlyburly (1984年)
  • Whoopi Goldberg (1984年)
  • Social Security (1986年)
  • Death and the Maiden (1992年)
  • The Seagull (2001年)
  • スパマロット Spamalot (2005年)
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関連項目

参照

外部リンク

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