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ヴィクトル・ブリズギン
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ヴィクトル・ブリズギン(Viktor Arkadyevich Bryzhin、ウクライナ語: Віктор Аркадійович Бризгін、1962年8月22日 ‐ )は、ソビエト連邦(ウクライナ)・ルハーンシク出身で短距離走を専門にしていた元陸上競技選手。1988年ソウルオリンピック男子4×100mリレーの金メダリストである。室内60mの手動計時世界最高記録保持者でもある。
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家族
妻のオルガは4×400mリレーの世界記録保持者で、オリンピックと世界選手権を通じて5つの金メダルを獲得した名スプリンター。娘のエリザベタとアナスタシアも国際レベルのスプリンターで、エリザベタは2012年ロンドンオリンピック4×100mリレーで銅メダルを獲得、アナスタシアは2017年ロンドン世界選手権に19歳で出場した実績を持つ(400mと4×400mリレー)。
経歴
1983年2月4日にキエフで行われた室内大会の60mにおいて6秒3の手動計時世界最高タイ記録をマーク。その後も1985年に2回、1988年に3回、1991年に1回、1992年に2回、6秒3の手動計時世界最高タイ記録をマークした[1]。
1983年8月のヘルシンキ世界選手権男子4×100mリレー決勝でソビエト連邦チームのアンカーを務め(1走アンドレイ・プロコフィエフ、2走ニコライ・シドロフ、3走ウラジミール・ムラヴィヨフ)、38秒41の3位で銅メダル獲得に貢献した[2]。
1987年8-9月のローマ世界選手権に出場すると、男子100mは1次予選、2次予選、準決勝の3ラウンド全てを10秒2台で通過し、この種目においてソビエト連邦勢初のファイナリストになった。決勝は10秒25(+1.0)の5位でメダルは逃したが(当初は6位。ベン・ジョンソンのドーピング処分で順位繰り上がり)、これはこの種目におけるソビエト連邦勢の最高成績である。男子4×100mリレー決勝ではソビエト連邦チームの2走を務め(1走アレクサンドル・イェフゲニエフ、3走ウラジミール・ムラヴィヨフ、4走ウラジミール・クリロフ)、38秒02のヨーロッパ新記録(当時)を樹立しての2位に貢献。優勝したアメリカには0秒12及ばなかったものの、2大会連続となるメダルを獲得した[3]。
1988年10月のソウルオリンピック男子4×100mリレー決勝ではソビエト連邦チームの1走を務め(2走ウラジミール・クリロフ、3走ウラジミール・ムラヴィヨフ、4走ヴィタリー・サビン)、38秒19で優勝に貢献。この種目では1980年モスクワ大会以来2つ目となる金メダルをソビエト連邦にもたらした[4]。
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自己ベスト
記録欄の( )内の数字は風速(m/s)で、+は追い風を意味する。
主要大会成績
備考欄の記録は当時のもの
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脚注
外部リンク
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