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ファブリツィオ・ジョヴァナルディ
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ファブリツィオ・ジョヴァナルディ(Fabrizio Giovanardi 、1966年12月14日 - )は、イタリア モデナ出身の元レーシングドライバーである。

経歴
要約
視点
1983年にカートを始め、1986年にイタリアカート選手権と世界カート選手権でチャンピオンを獲得する。
フォーミュラ3
1987年からイタリアF3にステップアップ。プレマから参戦し、初年度は表彰台を1度獲得しランキング13位。プレマで2年目の1988年は第5戦ムジェロでF3初優勝、最終戦イモラで2勝目を挙げる活躍でチャンピオンとなったエマニュエル・ナスペッティ(48ポイント)、2位のマウロ・マルティニ(47ポイント)に次ぐ46ポイントでランキング3位、チャンピオンとの差は僅か2ポイントであった。
国際F3000選手権
1989年にファースト・レーシングに加入し、国際F3000にステップアップ。第2戦ヴァレルンガでF3000初勝利を挙げ、ランキング10位を獲得。同年10月には翌年からのF1参戦を表明したライフ・レーシング・エンジンズ(同年春にファーストが断念したF1プロジェクトのシャシー売却先だった[1])のF1参戦計画におけるドライバー候補だと報じられた[2]。
翌1990年もファーストから国際F3000に継続参戦しランキング11位となった。1991年にフォルティ・コルセに移籍したが前二年ではシーズン一度は乗っていた表彰台獲得も途絶え、ランキング13位に終わった。1991年はF3000だけではなくイタリア・スーパーツーリングカー選手権にプジョーから参戦しランキング2位となり、翌年以降は参戦カテゴリーをツーリングカー一本に絞った。
ツーリングカー選手権
イタリア・スーパーツーリングカー選手権に専念した初年度の1992年にシリーズ・チャンピオンを獲得し、以後も1993年2位、1994年3位とランキング上位に入り続けた。プジョーからアルファロメオ陣営へと移籍した1995年は、しばしば他国の選手権にも並行して参戦した[映像 1]。
1998年に6年ぶりとなるイタリア選手権チャンピオンに返り咲くと翌年も連覇、2000年に後のヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)の前身であるヨーロッパ・スーパーツーリングカップに参戦、その年のタイトルを獲得すると、FIA主催となった2001年も連覇し、同選手権が改組され2002年に開催されたヨーロッパツーリングカー選手権の初年度をも制し、都合5連覇を達成した。
ここまでは順風だったが、2003年に長年在籍していたアルファロメオを離れてBMWに移籍した結果、後輪駆動車の操縦特性に苦戦。翌2004年にはアルファロメオに復帰した。
アルファロメオに復帰した2004年は同選手権でランキング5位と悪くないものであったが、この年はBMW勢が躍進し、ポイントでも上位の4人、アンディ・プリオール(BMW)、ディルク・ミューラー(BMW)、ガブリエル・タルキーニ(アルファロメオ)、ヨルグ・ミューラー(BMW)に対して大きく遅れを取ったばかりか、アルファロメオの新人アウグスト・ファルフスにすら終盤追い上げられあわや逆転されるほど接近された状態となり、前年の移籍の失敗が響く形となった。
2005年のETCCは世界ツーリングカー選手権(WTCC)となり、この年は4勝し優勝回数でこそドライバー中最多だったが、ポイントではアンディ・プリオール、ディルク・ミューラーに及ばず、ランキング3位で終えた。
この間ボクスホールと契約し、翌年はイギリスツーリングカー選手権(BTCC)に移籍した。同選手権における初優勝を挙げるまでやや苦戦を強いられたがノックヒルサーキットで行われた第8ラウンド、第23戦で初優勝を挙げると、続く第9ラウンドブランズ・ハッチでも優勝し、ランキング5位を得た。なおノックヒルでの優勝はボクスホールにとってBTCCにおける100勝目であり、1989年にボクスホールの1勝目を挙げたジョン・クレランドに祝福されるという一幕があった。
世界ツーリングカー選手権にもインディペンデントクラスのJASモータースポーツから数戦スポット参戦し、マカオで開催されたギア・レースではホンダ・アコードを駆り、入賞すらほとんどない同車で予選で8位につけ、第1レースは5位、4番手スタートの第2レースでも6位でフィニッシュするという力走を見せた。
2007年も引き続きBTCCに参戦することが発表され、ジェイソン・プラトを3ポイント差で逆転し初のBTCCチャンピオンを獲得した。翌2008年も連覇を達成した。2009年は接戦の末にランキング3位となった。その後2014年までBTCCで戦った。
2018年は、世界ツーリングカー選手権とTCRインターナショナルシリーズが統合した「FIAワールド・ツーリングカー・カップ」(WTCR)にアルファロメオ・ジュリエッタで参戦。シーズン序盤はチームメイトジャンニ・モルビデリ共々低迷。第6戦スロバキアのレース1で5位、レース3で7位に入賞しここから勢いに乗るかと思われたが、その後の中国2連戦でも低迷し、第9戦鈴鹿を前にして所属チーム離脱を発表。同年を最後に以後レース参戦は無い。
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レース戦績
要約
視点
国際F3000選手権
- 1989年 - 1991年
- 最高位 1位(1回)
- ランキング最高位 10位(1989,1990年)
イタリア・スーパーツーリング選手権
世界ツーリングカーカップ
年 | 国籍 | チーム | 車両 | 1 | 2 | 総合順位 |
---|---|---|---|---|---|---|
1993年 | ![]() |
プジョー・タルボ・スポーツ | プジョー・405 | 15 | 27 | 25位 |
ドイツ・スーパーツーリング選手権
ヨーロッパツーリング選手権
・†リタイアしたが、優勝者の走行距離の90%の距離を走行した為、規定により完走扱い。
世界ツーリングカー選手権
イギリスツーリングカー選手権
* ドライバーが少なくとも1周レースリードラップを記録したレース (リードラップ記録者には1ポイントが与えられる、2002年はフィーチャーレースのみ、2003年から全レースで適用)。
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脚注
外部リンク
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