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アウグスト・ファルフス
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アウグスト・セレスティーノ・ファルフス・ドス・サントス・ジュニオール(Augusto Celestino Farfus dos Santos Juniór, 1983年9月3日 - )は、ブラジル・パラナ州クリチバ出身のカーレースドライバーである。
2024年現在、耐久レースを中心に参戦している。通称は「アウグスト・ファルフス・ジュニオル」(Augusto Farfus Júnior)で、同選手権などでは「Augusuto Farfus Jr.」としてエントリーしている。
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経歴
要約
視点
初期の経歴
当初乗り始めたのは2輪で、1991年には地元のパラナ州で開催されたポケットバイクによるモトクロス選手権でチャンピオンとなった。
1992年、9歳でパラナ州カート選手権(初級クラス)を制したのを皮切りに、1998年までサンパウロ州を中心にカート選手権などに参加し、数々のタイトルを獲得した。
1999年にはイタリアカート選手権、北米カート選手権(いずれもA級)をそれぞれランキング3位と2位で終え、世界カート選手権(A級)でもランキング2位を獲得した。
フォーミュラ
2000年からイタリアに移り住み、フォーミュラ・ルノーイタリア選手権に参戦し、翌年はイタリア選手権では9位に終わったが、並行して参戦したユーロカップで選手権チャンピオンとなった。
2002年にはF3を飛び越え、イタリアを中心に開催されているユーロF3000へとステップアップし、初年度からランキング9位、2003年には弱冠20歳でチャンピオンに輝いた。
そうした活躍により、翌年に向けヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)のアルファロメオワークスチームで、同選手権における強豪チームであるN・テクノロジーのシートを獲得し、翌年以後ツーリングカーに活躍の場を移す。
ツーリングカー
ETCC初年度から総合ランキング6位につき、同選手権が世界ツーリングカー選手権(WTCC)となった次年度2005年には4位、3年目の2006年にはチャンピオン争いをして総合3位となった。
2007年はアルファロメオを離れ、ディルク・ミューラーに代わってBMWチーム(シュニッツァーチーム)のシートを得た。出身地であるクリチバで開催された開幕戦では、第2レースで6番手スタートながら前年果たせなかった母国レースでの優勝を遂げている。この年はランキング4位となる。2008年は2勝を挙げランキング6位。2009年は再びチャンピオン争いをしてランキング3位。しかし2010年は未勝利におわりランキング7位。この年を最後にWTCCを離れた。
2012年からはドイツツーリングカー選手権に参戦。初年度は1勝するもランキング7位。しかし2013年は3勝を挙げランキング2位となった。しかしそれ以降は優勝はなくランキングでもトップ10圏外と苦戦し、2018年を最後にDTMを引退した。
2019年はWTCCに代わり新設され2年目を迎えるWTCR(世界ツーリングカーカップ)にWTCR初代チャンピオンガブリエル・タルキーニが所属するBRCレーシングチームから参戦。WTCC以来9年振りの復帰を果たす。ファルフスは同じくWTCC以来の復帰となるオランダ人のニッキー・キャッツバーグと共にセカンドチームのBRC・ヒュンダイ N・ルクオイル・レーシングチームからの出場となる。序盤は堅実にポイントを獲得していき、第5戦ニュルブルクリンクのレース2、第6戦ポルトガルのレース1で3位表彰台を獲得した。しかし表彰台はこの2回のみでランキング15位となった。
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レース戦績
要約
視点
ユーロ3000選手権
ツーリングカー
ヨーロッパツーリングカー選手権
世界ツーリングカー選手権
ドイツツーリングカー選手権
世界ツーリングカーカップ
(key)
グランドツーリングカー
GTワールドチャレンジ・ヨーロッパ・耐久カップ
(key)
SUPER GT
(key)
インターコンチネンタルGTチャレンジ
スパ・フランコルシャン24時間レース
ニュルブルクリンク24時間レース
バサースト12時間レース
スポーツカー
インターコンチネンタル・ル・マン・カップ
ユナイテッド・スポーツカー選手権
FIA 世界耐久選手権
ル・マン24時間レース
デイトナ24時間レース
セブリング12時間レース
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外部リンク
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