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ヘクター・アルモンテ
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ヘクター・ラダメス・アルモンテ・モレータ(Héctor Radhames Almonte Moreta[1]、1975年10月17日 - )は、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手(投手)。エリック・アルモンテの実兄にあたる。台湾球界での登録名は、海克特。
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経歴
1993年にフロリダ・マーリンズと契約し、1999年7月26日にメジャーデビュー。
マーリンズのAAA級に所属していた2001年、シーズン当初から投壊にあった読売ジャイアンツが6月21日に獲得を発表した。翌22日に来日。
来日直後の6月28日、二軍・湘南シーレックス戦で、ストレートは157km/hを記録した。1年目は一軍でも152km/hを記録するなど、守護神として期待を集めた。
2年契約にもかかわらず1年での解雇が決定的だったが、鹿取義隆ヘッドコーチの期待もあり残留が決まる。終わってみれば1セーブ、防御率1.50だったが、主にビハインドの場面の登板が多く、首脳陣の信頼を得ることはできなかった。なお日本シリーズでは同年の外国人枠在籍選手[2]で唯一ベンチ入りメンバーとなるが、登板の機会はなかった。その後2年契約の満了に伴いシーズン終了後の11月12日に退団が発表された。
2003年1月23日にボストン・レッドソックスと契約しメジャー復帰。その後モントリオール・エクスポズなどでプレーした。
その後は、独立リーグやリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルでプレー[3]。2008年はアトランティックリーグでプレーした後、7月21日に台湾・中華職業棒球大聯盟の米迪亜ティー・レックスに移籍した。
引退後は、ゴールデンベースボールリーグのチームでコーチを務めた。
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エピソード
投球だけではなくその変わった言動で注目を集めた。特に1年目、調子が悪いと「オレはまだ眠っている」と根拠のない言い訳、さらには「160km/hを出す」と宣言をした。
1年目は不振ですぐに二軍落ちとなったが、渡邉恒雄オーナー(当時)から「ヤクルトはペタジーニで、どうしてうちはアルモンテなんだ」と名指しで他球団の優良助っ人と比較され批判を受けた。
登板の際には「リラックスするためのおまじない」と、「ドカベン」の岩鬼正美を彷彿させるような、口に葉っぱをくわえてマウンドに上がった。ちなみに、アルモンテのくわえていた葉っぱはジャイアンツ球場のブルペン脇で採った「スズメノカタビラ」である[4]。
詳細情報
年度別投手成績
- 「-」は記録なし
年度別守備成績
記録
- NPB
背番号
- 59(1999年)
- 61(2001年途中 - 2002年)
- 58(2003年)
- 59(2003年)
- 34(2008年)
脚注
関連項目
外部リンク
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