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マテュー・ヴァルブエナ

フランスのサッカー選手 ウィキペディアから

マテュー・ヴァルブエナ
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マテュー・ヴァルブエナ(Mathieu Valbuena, 1984年9月28日 - )は、フランスジロンド県出身のサッカー選手アポロン・リマソール所属。元フランス代表。ポジションはミッドフィールダー

概要 マテュー・ヴァルブエナ, 名前 ...
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クラブ経歴

要約
視点

地元ジロンド県FCジロンダン・ボルドーの下部組織で2001年にキャリアをスタートさせたが、身長の低さからトップチームには昇格できなかった[1]

フランスアマチュア選手権2(5部)のランゴン・カステに移り、スポーツシューズの販売員としてパートタイムで働きながらプレーした[2]。2004年にはフランス全国選手権(3部)のFCリブルヌ・サン=スーランに移り、2004-05シーズンは24試合で1得点だったが、2005-06シーズンは29試合で9得点を挙げてリーグ・ドゥ(2部)昇格を助け、リーグMVPに選ばれる活躍を見せた[2]

マルセイユ

2006年6月9日、リーグ・アン(1部)のオリンピック・マルセイユに3年契約で移籍した。夏のプレシーズンの間に負傷して悪いスタートを切った。シーズンも後半になってからヴァランシエンヌFC戦で途中交代によりデビューし、1-0で勝利した。2006-07シーズンは主に途中出場で15試合に出場した。初得点はASサンテティエンヌ戦で、86分に試合を決める得点を決めた。

2007-08シーズンは怪我なく過ごし、フランク・リベリーバイエルン・ミュンヘンに移籍したことから飛躍的に成長した[要出典]。出場機会は増加し、UEFAチャンピオンズリーグのグループリーグのアンフィールドでのリヴァプールFC戦でゴールを決め、エリック・ゲレツ監督の初陣を飾った[3]。その得点によりリヴァプールFC相手に1-0で勝利するというアップセットを演じた。この得点のほかに、前半終了間際にはオフサイドで取り消された幻のゴールを決めていた[4]。彼の好パフォーマンスはクラブに契約延長を促し、2008年4月には2013年までの新契約が結ばれた[5]

2008-09シーズンは自己最多の31試合に出場したが、ほとんどが途中交代か途中出場で、フル出場した試合は5試合しかない[6]

2009-10シーズン前半戦は出場13試合中10試合が途中出場であり、ディディエ・デシャン監督が首脳陣にハリー・キューエルジェレミー・メネスなどのウインガー獲得を要請していたことから、戦力外扱いされた。リザーブチームでプレーすることも多く[2]、冬の移籍期間での放出が確実視されていたが、後半戦になってレギュラーポジションを獲得し[7]、4得点を決めて18シーズンぶりのリーグ・アン制覇に貢献した。

2010-11シーズンは2連覇こそ逃したものの、5年連続CL出場権獲得に貢献した。

2011-12シーズン、生え抜きのタイエ・タイウォACミランへ移籍したことで、ヴァルブエナがマルセイユにおける最古参選手となった。しかしこのシーズン、序盤はチームが低迷する中、ヴァルブエナは活躍していたが、チームの調子が上がっていくと共に、ヴァルブエナ自身は調子を落としていき、ベンチに甘んじることもあった。そんな中迎えたCLグループリーグ最終節のボルシア・ドルトムント戦は、グループリーグ突破がかかった試合で2点先制されるという苦しい展開だったが、途中出場したヴァルブエナが試合終了間際に相手選手2人を交わしてミドルシュートを決め、決勝トーナメント進出を果たした。同シーズンの後半戦、チームは不振に陥ったがヴァルブエナは中心選手とし成長し、リーグではエデン・アザールに次ぐ、13アシストを記録した。

2012-2013シーズン、37試合に出場し開幕からチームの好調を支え続けた。自身2度目のリーグベストイレブンに選ばれ、リーグトップの12アシストを記録した。また、本人は自身最高のシーズンだったと語っている[8]

ディナモ・モスクワ

2014年8月2日、FCディナモ・モスクワに3年契約で移籍した[9]

リヨン

2015年8月11日、オリンピック・リヨンに移籍した[10]。契約期間は3年間、移籍金は500万ユーロ。

フェネルバフチェ

2017年6月12日、フェネルバフチェSKに移籍した[11]

オリンピアコス

2019年5月27日、フリー移籍でオリンピアコスFCに移籍した。8月13日、チャンピオンズリーグプレーオフのイスタンブール・バシャクシェヒルFK戦で移籍後初得点を決めた[12]

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代表経歴

マルセイユに移籍するまでフランスアンダー代表に招集されたことはなかったが、2008年春にレイモン・ドメネク監督はイングランド戦とマリ戦のためにヴァルブエナをA代表に招集した[13]。しかし彼は怪我により試合出場を逃した。2010年5月11日、2010 FIFAワールドカップに向けてのフランス代表候補30人の中に選出された[14]。ヴァルブエナは代表メンバー23人の中にも残り[15]、W杯前の親善試合・コスタリカ戦でデビューし、83分に決勝点となる代表初得点も挙げた[16]。ワールドカップ本大会では途中出場で大会デビューを果たすも、チームは敗退した。また、UEFA EURO 2012のフランス代表にも選出されたが、出場機会は無かった。ヴァルブエナを使わなかったローラン・ブラン監督を批判するファンもいた[要出典]。その後もクラブで好調を維持していたヴァルブエナは、フランス代表監督がディディエ・デシャンになってからは、トップ下のレギュラーに定着。フランク・リベリーと共に攻撃の核として、欠かせない存在となり、2014年ブラジルワールドカップでは、開幕戦のホンジュラス戦に先発、スイス戦ではゴールも決めた。しかし、翌2015年に、カリム・ベンゼマから恐喝を受け(詳細)、その影響でユーロ2016フランス大会ではベンゼマと共に代表から外れた。

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個人成績

クラブでの出場記録

2012年12月12日時点
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代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 52試合 8得点(2010年-2015年)[17]
さらに見る フランス代表, 国際Aマッチ ...

得点

2012年11月14日時点、スコア欄と最終結果欄はフランスの得点を左側に記している

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タイトル

  • オリンピック・マルセイユ
リーグ・アン (1) : 2009-2010
クープ・ドゥ・ラ・リーグ (3) : 2009-2010, 2010–11, 2011–12
トロフェ・デ・シャンピオン (2): 2010, 2011
  • オリンピアコスFC
スーパーリーグ (3) : 2019-2020, 2020-2021, 2021-22
キペロ・エラーダス (1): 2019-20

脚注

外部リンク

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