トップQs
タイムライン
チャット
視点

マリオ・ゴメス

ドイツのサッカー選手 ウィキペディアから

マリオ・ゴメス
Remove ads

マリオ・ゴメスMario Gomez, 1985年7月10日 - )は、西ドイツバーデン=ヴュルテンベルク州リートリンゲン出身の元サッカー選手。元ドイツ代表。現役時代のポジションはFW

概要 マリオ・ゴメス, 名前 ...

2022年1月より、レッドブルグループのスポーツ部門における国際部門のテクニカルディレクターを務める[1]

Remove ads

経歴

要約
視点

クラブ

シュトゥットガルト

2001年、SSVウルムからVfBシュトゥットガルトのユースに入団。2003-04シーズンの2004年3月9日、UEFAチャンピオンズリーグチェルシーFC戦でプロデビューを果たし、2ヵ月後の5月8日にはブンデスリーガデビュー。その後はリザーブチームでのプレーを余儀なくされたが、2005-06シーズンは30試合6得点の成績を残した。2006-07シーズンはコンスタントに得点を重ね、15シーズンぶりのリーグ優勝に貢献。記者投票による2007年の年間最優秀選手に選ばれた。

しかし、2007年3月10日のヴォルフスブルク戦で、左ひざのじん帯の内側を負傷。その場でメディカルスタッフから治療を受けたが、腹立ちまぎれに医療器具の入ったケースを殴りつけ、右手中指を骨折するという不運に見舞われる。

バイエルン

Thumb
バイエルン時代(2012年)

2009年5月、バイエルン・ミュンヘンへの移籍が発表された[2]。移籍金は3000万ユーロで、ブンデスリーガ史上最高額となった。しかし移籍初年度はリーグ戦10得点と、4年連続でのリーグ戦2ケタ得点を記録したものの、トーマス・ミュラーイヴィツァ・オリッチの活躍に後塵を拝し、リーグ戦で先発出場したのは22試合に留まり、シーズンを通してレギュラーとはならず、期待に応えたとは言えない成績に終わった。

だがワールドカップを挟んでの2010-11シーズンは序盤こそ控えであったが8節のハノーファー戦でハットトリックを達成。その後は国内外の大会で得点を重ね、リーグ戦で5度、CLでも1度のハットトリックを達成するなど不動のレギュラーとして活躍。最終的にブンデスリーガでは28得点を挙げ、初の得点王に輝いた。

2012-13シーズンは負傷で出遅れ、新加入のマリオ・マンジュキッチに先発の座を奪われ、クラブは三冠に終わるも不満の残る成績となった。

フィオレンティーナ

2013年7月8日、ACFフィオレンティーナに移籍した[3][4][5]。移籍金は1600万ユーロともいわれる。背番号はバイエルン時代と同じ33番。2013-14シーズンでは、故障が相次いだ影響で全ての大会で15試合出場の4ゴールの結果に終わった。2014-15シーズンもリーグ戦では20試合5ゴールと目立つ活躍が出来ないままフィオレンティーナを去った。

ベシクタシュ

2015年7月29日、ベシクタシュJKへ2015-16シーズン終了まで1年間の期限付き移籍(買取オプション付き)することが発表された[6]。ベシクタシュでは33試合に出場して26得点を決めて得点王となり、チームのリーグ優勝に貢献したが、クーデターなどトルコの政情不安を理由に2016年7月20日に自身のフェイスブック上で退団を発表した[7]

ヴォルフスブルク

2016年8月17日、VfLヴォルフスブルクがゴメスの獲得を発表[8] 。移籍金は700万ユーロと推定されている。これにより、3シーズンぶりにブンデスリーガへ復帰することとなった[9]。2017年4月レヴァークーゼン戦でハットトリックを達成[10] 、3点目のゴールはゴメスのブンデスリーガ通算150得点目となった[11]。2016-17シーズンはリーグ戦16ゴールの活躍を見せた。

シュトゥットガルト復帰

2017年12月22日、古巣のVfBシュトゥットガルトへ2020年6月までの2年半契約で完全移籍。8年半ぶりにシュトゥットガルトへ復帰した[12]。背番号は27番に決まった[13]。シュトゥットガルト公式サイトを通じて現役引退を表明した[14][15]。チームが1部昇格を決めたリーグ最終節・ダルムシュタット戦が現役最後の試合となった。

代表

Thumb
ドイツ代表時代(2011年)

2007年2月にはスイス戦で代表デビュー、初得点を記録した[16]。国内リーグでの得点数は年々伸ばしていたが、代表では目立った活躍を出来なかった。

EURO 2008でも大会後半からはスターティングメンバーからも外れるなど、ノーゴールに終わった。2009年6月2日のUAEとの親善試合で代表初ハットトリック(4ゴール)を記録した[16]2010 FIFAワールドカップ本戦メンバーにも選出され4試合に途中出場したものの、僅かなプレー時間しか与えられず、無得点に終わった。EURO 2012ではポルトガル戦で1ゴール、オランダ戦で2ゴールと[16]、合計3ゴールを決め、得点王を獲得した。

2013年以降は負傷の影響もあり、2014 FIFAワールドカップではメンバーを外れるなど、代表での出場機会が減少していたが、2016年3月26日のイングランドとの親善試合で約4年ぶりとなるゴールを記録[17]UEFA EURO 2016では、グループリーグ最終戦のアイルランド戦、ラウンド16のスロバキア戦と2試合連続ゴール挙げる活躍を見せたが[16]、準々決勝のイタリア戦でハムストリングを負傷し途中交代[18][19]フランスとの準決勝には出場できず、チーム唯一のセンターフォワードを欠いたドイツは敗退した[20]

2018 FIFAワールドカップではグループリーグの第2戦、スウェーデン戦では途中出場からマルコ・ロイスのゴールをアシストするなど勝利に貢献したが[21][16]、第3戦の韓国戦で敗れ、グループリーグ敗退し、大会終了後の8月5日、代表引退を表明した[22]

Remove ads

人物

父がスペイン人、母がドイツ人。父の影響でFCバルセロナを憧れのクラブと公言している。スペイン系のためシュトゥットガルトファンからは「闘牛士」という愛称をつけられており、闘牛のような強引な突破が持ち味。恵まれた体格から来るパワーと足元の技術を併せ持っている選手である。ヒーローはジェイジェイ・オコチャロマーリオである[23]

個人成績

クラブ

さらに見る クラブ, シーズン ...

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 78試合 31得点(2007年-2018年)[24]
さらに見る ドイツ代表, 国際Aマッチ ...

得点

さらに見る 開催年月日, 開催地 ...
Remove ads

タイトル

クラブ

シュトゥットガルト
バイエルン・ミュンヘン

個人

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads