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東京盃
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東京盃(とうきょうはい)は、大井競馬場で行われる地方競馬の重賞競走(ダートグレード競走、JpnII)である。「Road to JBC」に指定され、また2023年までは農林水産省が賞を提供していたため、正式名称は農林水産大臣賞典 Road to JBC 東京盃と表記されていた。
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概要
要約
視点
1967年に創設された地方競馬では全国で初めての短距離重賞競走[2]で、創設時から大きく条件の変化はない。創設時は船橋の報知グランプリカップと共にサラブレッド系だけでなくアングロアラブ系馬の出走も可能なオールカマーの重賞競走であった。1995年に全国指定交流競走となりJRAおよび他地区所属馬にも門戸が開かれたがアラブ系の衰退により1996年に南関東公営競馬でのアラブ系競走が廃止され、出走資格がサラブレッド系のみとなった。
1997年よりダート競走格付け委員会によりGIIに格付けされ、ジャパンブリーディングファームズカップ(JBC)が創設されたのに伴い2001年より「Road to JBC」に指定され、上位馬にはJBCスプリントへの優先出走権が与えられることとなった。
ダートグレード競走以前の時代は東京大賞典を目指す古馬、東京王冠賞を目指す3歳馬、全日本アラブ大賞典を目指すアングロアラブがこのレースを秋の本番前の足慣らしとして用いた為に例年南関東のオールスターが揃う、南関東の秋競馬を占う一大前哨戦となっていた。現在では南関東地区のスプリント王決定戦かつJBCスプリントへの前哨戦の意味合いが高い。
1974年には「アラブの魔女」と呼ばれたイナリトウザイがレコードタイムで優勝、1994年にはアングロアラブながら59kgの出走馬中最重斤量を背負ったトチノミネフジが2着に入るなど、時としてサラブレッドと互角以上に渡り合うアラブの活躍が見られた事でも知られる。最後に出走したアラブは1995年のランドアポロ(5着)である。この年の6着は後にスプリンターズステークスを制するヒシアケボノだった。
条件・賞金等(2024年)
- 出走資格
- サラブレッド系3歳以上。
- アフター5スター賞優勝馬と習志野きらっとスプリントで優勝した南関東所属馬に、本競走の優先出走権がある[1]。
過去の賞金額
- 中央競馬・地方競馬全国指定交流競走に指定された1995年以降
※ここに示される総額賞金には、着外賞金(着外手当)は含まれていない。
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歴史
要約
視点
- 1967年 - 4歳(現・3歳)以上の重賞競走・東京盃創設。現在と同じ大井競馬場ダート1200mで施行。
- 1972年 - この年のみ、日本教育テレビ(略称:NET、現・テレビ朝日)より賞の寄贈を受け、NET盃に名称を変更。
- 1986年 - この年のみ、内回りコースで施行。
- 1995年
- 1996年 - 南関東公営競馬のアラブ系競走廃止に伴い、出走資格をオールカマー(混合競走)からサラブレッド系に変更。
- 1997年 - ダート競走格付け委員会により統一GIIに格付け。
- 2001年 - 「Road To JBC」に指定。
- 2002年 - 大井競馬場のスタンド改修工事に伴いダート1190メートルで施行。
- 2003年 - 大井競馬場のスタンド改修工事に伴いダート1190メートルで施行。
- 2004年 - 出走条件を「サラブレッド系3歳以上9歳以下」から「サラブレッド系3歳以上」に変更。
- 2007年 - 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、格付けをJpnIIに変更。なお、南関東グレードは併記しないことになった。
- 2021年 - COVID-19の流行により「無観客競馬」として開催。
- 2024年 - 農林水産大臣賞が付かなくなり、競走名から農林水産大臣賞典が外れる。
歴代優勝馬
※Rは、コースレコードを示す。
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脚注
関連項目
外部リンク
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