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ミッチ・ウィリアムス
アメリカの野球 (1964-) ウィキペディアから
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ミッチェル・スティーブン・ウィリアムス(Mitchell Steven Williams , 1964年11月17日 - )はアメリカ・メジャーリーグで活躍した投手。左投左打。 アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタアナ出身。 ニックネームは「Wild Thing」(映画「メジャーリーグ」のチャーリー・シーン扮する投手リッキー・ボーンの愛称に因む)。
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人物・来歴
要約
視点
1986年にテキサス・レンジャーズでメジャーデビュー。この年新人でいきなり80試合に登板し、新人の最多登板記録を更新。 1987年は85試合(自己最多)に登板し、108回2/3を投げて奪三振129、与四死球101。 1988年はクローザーも務め、16セーブをあげる。
1988年オフにラファエル・パルメイロらとの交換トレードでシカゴ・カブスに移籍。 1989年に映画「メジャーリーグ」が封切られると、投げ終わって三塁側に倒れこむ程の力強いフォームから、時速90マイル(145km/h)を楽に越す速球を投げるが、コントロールが悪く、まさにリッキー・ボーン(チャーリー・シーンが演じる投手)のキャラクターそのもののようなウィリアムスを見たリグレー・フィールドのオルガン奏者が、映画の中でのリッキーの登場曲「Wild Thing」(演奏者はX)を演奏したところこれがマッチし、以後、同名の愛称がウィリアムスにつけられることとなった。後年、1993年以後は背番号も映画の中のリッキーと同じ「99」(時速99マイル=約159km/hの速球を投げることにちなむ)に変更した。
この1989年には、76試合に登板して4勝4敗36セーブの活躍でチームのナ・リーグ東地区優勝に貢献する。また、オールスター出場も果たした。 1991年にはフィラデルフィア・フィリーズに移籍し、この年は12勝5敗30セーブをあげる。特に8月には8勝をあげた。 1992年も29セーブをあげる。 そして1993年には自己最多の43セーブをあげ、チームの地区優勝に貢献。
アトランタ・ブレーブスとのナ・リーグチャンピオンシップシリーズでは2勝2セーブをあげて4勝すべてに貢献して、チームをワールドシリーズに導く(ただし、2勝はいずれもセーブ失敗してついたもの)。 そして、トロント・ブルージェイズとのワールドシリーズが、野球人生を暗転へと追い込むこととなってしまった。 第2戦ではセーブをあげるが、乱打戦となった第4戦で、フィリーズは最大5点差をつけていたが8回にブルージェイズが猛攻。 ウィリアムスも登板したが14対15と逆転を許し、敗戦投手となった。フィラデルフィアのファンはブーイングだけでは収まらずに、ウィリアムスに襲いかかった。なお、この試合の両チーム合計29得点はワールドシリーズ記録である。
さらにフィリーズの2勝3敗で迎えた第6戦。フィリーズは7回にレニー・ダイクストラの3点ホームラン等で5点を奪って6対5と逆転。 そして、3勝3敗のタイに持ち込むべく、満を持して9回にウィリアムスをマウンドへ送ったが、2走者を出してジョー・カーターに投じた渾身のスライダーを逆転サヨナラ3ランホームランとされてしまった。 ワールドシリーズがサヨナラホームランで幕を閉じるのは1960年(打ったのはピッツバーグ・パイレーツのビル・マゼロスキー)以来33年ぶりとなった。
さらに、悪送球となった牽制球が一塁手ジョン・クルックの股間を直撃し、保護カップがウィリアムスの「速球」に役に立たず、それが原因でクルックが精巣癌となり、結果として選手生命を短くするという事故もあり、これらの精神的なショックから立ち直ることができず、 1994年はヒューストン・アストロズに移籍して1勝4敗6セーブ、防御率7.65の散々な成績に終わる。 1995年にカリフォルニア・エンゼルス、1年おいて1997年にカンザスシティ・ロイヤルズでプレイするが、セーブすらあげることができず、1997年限りで現役引退した。
通算192セーブは2011年終了時点でメジャー歴代46位。
691回1/3を投げて660奪三振は9イニング平均8.59。四球も544あり、こちらは7.08。2011年シーズン終了時点で通算セーブでメジャー歴代50位以内に入っている投手(以下同様)で、9イニングあたりの平均与四球が5以上という投手は他になく、最高でもアーマンド・ベニテスの4.66。4.0以上も他にグレッグ・オルソン(4.42)、ランディ・マイヤーズ(4.03)、フランシスコ・コルデロ(4.08)、ブラッド・リッジ(4.24)だけであり、ウィリアムスの荒れ球・制球難が相当のものであったことは、これだけで十分に説明がつく。WHIP(投球回あたり与四球・被安打数合計)は1.56で、通算セーブ歴代50傑で最下位。ただし通算の被打率は.218で、この点ではほぼ同時期の活躍になるリー・スミス(.237)、デニス・エカーズリー(.243)、デーブ・リゲッティ(.244)、グレッグ・オルソン(.239)、ランディ・マイヤーズ(.233)らよりも優れている。
前出のジョー・カーターにHRを食らった試合の解説(NHK BS)は星野仙一であったが、あまりの荒れ球に「私ならこんな投手は使わない」と憤慨していた。その発言の後、HRを打たれてしまった。
1993年7月2日のサンディエゴ・パドレス戦では延長14回に登板し、クローザーには珍しいサヨナラヒットを打つ。この試合はダブルヘッダーの第二試合で、雨による中断もあったため第一試合の試合開始から12時間以上に及ぶロングゲームで、時刻は翌日未明4時40分。相手投手はトレバー・ホフマンであった。そもそも打席に立ったのも、このシーズン65試合に登板してこの一度だけであった。通算でもわずか16打席のみだが、このサヨナラヒットも含めて3安打。1989年にはホームランも打っている。
メジャーからの引退後、2001年に独立リーグアトランティックシティ・サーフドッグスで現役復帰。 2002年と2003年は同チームの監督を務める。 現在はフィラデルフィアでラジオ番組のパーソナリティを務めるほか、フィリーズの試合の解説も務める。
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詳細情報
年度別投手成績 (MLB)
- 「-」は記録なし。
- 太字はリーグ1位。
- 1996年は試合出場なし。
獲得タイトル・表彰・記録
- オールスターゲーム選出:1回 (1989年)
- ピッチャー・オブ・ザ・マンス:1回 (1991年8月)
背番号
- 28 (1986年 - 1992年)
- 99 (1993年 - 1995年)
- 49 (1997年)
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外部リンク
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