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ユニバーサル・レスリング・アソシエーション

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ユニバーサル・レスリング・アソシエーションUniversal Wrestling Association、略称:UWA)は、メキシコプロレス団体。ただし、UWAは王座認定団体の総称であり、興行団体としてはメキシコでルチャリブレ・インターナショナルLucha Libre Internaciónal、略称:LLI)と呼ばれている。

歴史

1975年1月、EMLLを退団したフランシスコ・フローレス、ベンジャミン・モーラ、レイ・メンドーサらが設立。1月29日メキシコシティにあるライブ会場「パラシオ・デ・ロス・デポルテス」で旗揚げ戦を開催。ナウカルパンにある闘牛場「エル・トレオ」を拠点としていた[1]

旗揚げ当初はEMLLからアンヘル・ブランコドクトル・ワグナーアニバルらを引き抜いて一時は人気を誇っていた[1]。しかし、EMLLから引き抜いた選手がトップに君臨し続けたことにより、世代交代が充分に行うことが出来なかった。

1990年メキシコで禁止されていたルチャリブレのテレビ中継が解禁となるも流れに乗ることが出来ず、EMLLに遅れをとることになってしまう[1]

1992年AAAを旗揚げされると業界トップに躍進して人気が低迷していく[2]

1994年、社運をかけてAAAと団体対抗戦を企画するもエル・トレオのオーナーが急逝後、エル・トレオの賃貸問題で面倒なことが起こるようになる[1]

1995年、ほぼすべての所属選手がAAAに移籍する事態が起こり、一気に弱小団体になってしまう[1][2]。同年、エル・トレオを撤退してメキシコシティにある競技場「アレナ・ネッサワルコヨ」を拠点としていた。

1997年、代表のカルロス・マイネスが誘拐されるという事件が起こり、身代金を工面するためにアレナ・ネッサワルコヨが売却された[3]。アレナ・ネッサワルコヨを失ったことで約22年の歴史に幕を下ろした[1]。UWA世界王座はメキシコと日本に定着しており、王座認定組織として形式的に存在している。

2015年9月12日、再興へ向けて検討に入っていることが明らかにされた[4]

2018年2月28日、再興が発表されてWWFで会長を務めていた新間寿が会長に就任[5]

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国外との関係

日本新日本プロレス[1]ユニバーサル・プロレスリング[6]全日本女子プロレス[6]ジャパン女子プロレス[6]アメリカWWF[1]と業務提携を結び、UWA所属選手が参戦したり、日本とアメリカの選手が参戦していた。

チャンピオンシップ

さらに見る Championship, Last official champion ...
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参戦選手

男子選手

女子選手

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参考文献

脚注

関連項目

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