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ワープ (ゲーム会社)
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株式会社ワープ(英: Warp Inc.)は、かつて存在した日本のゲームソフト開発会社。ゲームクリエイターの飯野賢治によって設立された。『Dの食卓』や『エネミー・ゼロ』などのインタラクティブシネマ[注 1]や、映像を排除した音だけのゲーム『リアルサウンド 〜風のリグレット〜』の開発などで知られ、のちに「ICO」、「ワンダと巨像」などを世に送り出す上田文人が在籍していたことでも知られる。
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概要
1989年に飯野賢治が友人らと共に有限会社EIMを設立し、主にファミコンソフトの開発を請け負っていた[1]。EIMの活動は順調だったが、制作するゲームが続編・移植・キャラクターゲームが多くなり、飯野は自身のゲーム制作に疑問を持ち始めEIMを解散した[2]。
飯野はEIMではできなかったオリジナルゲームを制作するため、1994年に株式会社ワープを渋谷区恵比寿に設立し、3DO向けゲームの開発を開始した。作風はインディーゲームに近く[3]、飯野は小規模チームで開発するワープのスタイルを「会社はバンドだ」と称していた[4]。
1996年3月27日から28日まで開催された「プレイステーション・エキスポ '96」(東京国際見本市会場)において、ワープは新作の『エネミー・ゼロ』を出展した。イベントを主催するソニー・コンピュータエンタテインメントに次ぐ広さの大規模なブースを構え、PlayStation実機上で動作するデモ版『エネミー・ゼロ』の試遊台を複数用意した[5]。イベント初日、ワープブースにて行われた製作発表会で、「エネミー・ゼロはPlayStationでの発売を無期延期し、供給先をセガ・エンタープライゼスの『セガサターン』に変更する」と壇上の飯野から発表された(飯野賢治#エネミー・ゼロ事件を参照)。事実上、競合するプラットフォームへの電撃移籍となったが、発表後もワープはそのイベントからは撤退しなかったため、イベント来場者がPlayStationでは発売されることのないタイトルを、PlayStation上で試遊するという前代未聞の出来事となった[6]。
1997年にオフィスを港区北青山に移転。オフィスは4階にあったが、オフィスビルの建物の内部に竹藪やししおどしが施された日本庭園を擁しており訪問者を驚かせた[7][8]。
1998年、ワープの会社案内を書籍化し一般書店で販売した。ワープ社員21名をカメラマンの安珠が撮影し、彼らの仕事内容、入社するまでの生い立ち、会社への想いなどをインタビュー形式で一冊にまとめた内容であった[9]。
2000年、社名を株式会社スーパーワープに改名し、コンシューマーゲーム業界から撤退。主業務をネットワークサービスに変更した[10]。その翌年、株式会社フロムイエロートゥオレンジへ改名した。
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社名とロゴ
社名の「ワープ」には、自分たちのゲームをプレイする人たちに直接届けたいという想いが込められている[2]。
ゲーム作品
オリジナル版
移植版
ローカライズ版
未発売作品
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バーチャル俳優・タレント
ワープの作品には『Dの食卓』の主人公ローラがバーチャル俳優[22]として、複数のゲーム作品の主人公として登場している。現実の俳優と同じように異なる設定の役に扮して演じていると捉えたもので、映画などにおけるスターシステムに近い。役名のファーストネームはローラで統一されており、そのことから「ローラ三部作」と呼ばれる場合もある。
また『エネミー・ゼロ』主人公のローラ・ルイスはバーチャルタレントとして、1997年放送の情報番組『デジタル・チャット』(フジテレビ)においてナビゲーターを務めた。CGキャラであるローラは日立製作所の「サイバー文楽」システムで制御された。役者の表情を赤外線センサでキャプチャーしてローラの表情を変化させ、人形師が人形コントローラを用いて彼女の体を動かし、それぞれリアルタイムで入力を行った[23][24]。
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脚注
外部リンク
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