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大量殺人

一人以上の加害者が、複数名の被害者を殺害することとされるが、人数や期間について厳密な定義が存在しない。 ウィキペディアから

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大量殺人(たいりょうさつじん)は、同一の場所および時間帯において、同時に複数名が死亡ないし傷害を負う犯罪を示すとされる[1]。しかし、厳密な定義は存在しない(後述)。

「大量殺人」の定義

要約
視点

大量殺人という言葉に厳密な定義が存在しないことはフリーランスライターの村野薫[2]、精神科医の影山任佐がそれぞれ著書で触れている[3]。そのため以下に定義の変遷とその時代に大量殺人と認識された事件を記す。

1914年に発生したミュールハウゼン虐殺事件(ワグナー事件)において、ローベルト・ガウプドイツ語版が論文の題名にMassenmord(大量殺人)を使用したのが最初だと影山は指摘している[4]1920年にはアルブレヒト・ヴェッツェルによる1810年以降のドイツを中心の諸外国を含んだ153件の事例の研究書であるÜber Massenmörder(大量殺人者たちについて)が出版される[5]。ヴェッツェルは本書において未遂も含んだ二名以上の被害者が出たものから偶発的な殺人者、営利殺人、政治的目的を持つ加害者、プロの毒殺者の4つを外したものを対象とした[6]

司法精神医学者のパーク・ディーツ英語版1968年に大量殺人を家族皆殺し、擬似的な特攻、セットアンドラン[注釈 1]の三つに区分したものを示した[7]

ロナルド・M・ホームズとスティーヴン・T・ホームズはディーツの区分したものをさらに8つに区分した。それによると教祖などの指示により門弟が行う師弟タイプ、一家心中も含めた家族皆殺しタイプ、会社での不満に端を発する不満を持った従業員タイプ、自身の背景や社会への不満から無差別殺人を行う不満を持った市民タイプ、セットアンドランタイプ、精神疾患が原因で行われる精神疾患タイプ、加害者の政治的信念に基づくイデオロギータイプ、学校内銃乱射タイプに分けられている[7]

FBIは2005年に開催された連続殺人に関するシンポジウム報告書の中で、大量殺人との違いを各殺人の間に時間が空くか否かとして区別し、大量殺人を同一事件の中において間を置くことなく行われた4つ以上の殺人行為と説明している[8]

法政大学文学部心理学科教授の越智啓太と木戸麻由美は犯行形態に基づいて[9]、公共の場に居合わせた人を狙う無差別大量殺傷型[10]、強盗殺人や暴力団事件、保険金殺人や放火などを含む犯罪型[11]、一家心中の家族対象大量殺傷事件[12]、それから精神疾患や薬物中毒が原因となるケースにも触れている[13]

法務省法務総合研究所による2013年の研究報告では、上記FBIの定義を紹介した上で、ほかにも「しばしば数分又は数時間という短い時間の単一の事件として同じ場所で数人を殺害すること」[14]との定義や「殺人と殺人の間に冷却期間がなく、1か所で3人以上を殺害すること」[15]との定義を併記している[16]

毎日新聞社 (1991) は、4人以上が殺害された事件を戦後日本における「大量殺人事件」として取り上げている[17]。また村野薫 (2002) は戦後日本で発生した「大量殺人」として、単一事件・連続事件を問わず、同一の犯人により5人以上が殺害された事件を収録している(「参考文献」節を参照)。

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大量殺人事件の事例

要約
視点

世界の大量殺人事件

  • 一般的に著名な事件とされているケースのみを記述する。
  • 戦後日本における大量殺人については後節を参照。
さらに見る 事件名, 年 ...

日本の大量殺人事件

戦前

  • 1880年(明治13年)7月23日 ‐ 吉原杉戸楼7人斬り。吉原で妓楼の料金を巡って揉めた客の巡査が7人を襲い、4人を死亡させた[23]
  • 1893年(明治26年)5月25日 - 河内十人斬り[24]
  • 1905年(明治38年)6月20日 ‐ 堀江六人斬り大阪府大阪市西区堀江堀江遊郭にあった妓楼の主人が家庭の揉め事から家族と雇人を襲い、5人即死、1人は両腕を切り落とされた[23]
  • 1909年(明治42年) ‐ 二本榎一家殺し。東京府東京市芝区(現:東京都港区)の二本榎で、盗み目的で隣家に入ったところ家族が目を覚ましたため一家5人を手斧で皆殺しにした[23]
  • 1909年(明治42年) - 嬰児大量殺人事件[25]。1909年6月に佐賀県佐賀市西与賀町厘外(りんげ)で発覚した貰い子殺人事件で、厘外のもらい子殺しとも呼ばれる[26]。櫛職人夫婦が椿油行商の女から周旋を受け、私生児を養育費付きで預かっては次々に殺害、約7年間で60人以上の幼児が犠牲になった[26]。1913年(大正2年)2月、犯人夫婦に死刑、従犯である椿油行商には懲役12年の判決が言い渡された[26]。佐賀県犯罪史上、最も残忍な事件と評されている[26]
  • 1913年(大正2年) ‐ 愛知貰い子殺人事件
  • 1915年(大正4年)3月15日 ‐ 小石川七人斬り事件。東京府東京市小石川区表町(現:東京都文京区小石川)にあった東京電灯小石川出張所で一家が襲われ、幼児を除く7人が殺害された[27]
  • 1921年(大正10年)6月3日 ‐ 東京市電運転手連続殺傷事件。朝鮮人の市電運転士が同居の同僚家族らと揉めたのをきっかけに日本人7人を殺し、10人を負傷させた[23]
  • 1922年(大正11年)12月30日 ‐ 桐ケ谷6人殺し。東京府大崎町桐ケ谷(現:東京都品川区)の洋品店に賊が押し入り、手おののような凶器で一家6人を殺害(未解決事件[28]
  • 1924年(大正13年)11月23日 - 「九人斬り事件」[29]愛知県名古屋市中区入江町3丁目4(現:白川町もしくは二丁目)にあった芸妓置屋で[30]、常連客の男が入れあげていた芸者に冷たくされたことを恨み、手斧で芸者や置屋一家4人(主人夫婦と子供2人)、芸者見習い2人など計8人を殺害、1人に重傷を負わせた大量殺人事件[29]。犯人の菱田信次(ひしだ しんじ)は12月2日未明に名古屋駅で逮捕され[29]、1925年(大正14年)2月26日に名古屋控訴院で死刑判決を受け、控訴したが、同年7月3日に名古屋控訴院で再び死刑判決を受け、大審院への上告を自ら取り下げて死刑が確定、1926年(大正15年)3月19日に名古屋刑務所で死刑執行(28歳没)[31]。逃走中には兵庫県神戸市で「おれは名古屋の八人殺しの犯人だぞ」と女性を脅して50円を奪う事件が発生したり、名古屋市南区で逮捕された侵入盗が「俺は九人斬りだ」と威張っていたという出来事があったりした[29]
  • 1926年(大正15年)4月16日 - 船橋町一家五人惨殺事件[32]千葉県東葛飾郡船橋町本宿(現:船橋市)の京成電鉄大神宮下停留所前で、高輪中学校数学教諭の男性(当時53歳)と妻、子供3人の一家5人が殺害されているのが発見された[33]千葉県警察部(現:千葉県警察)史上初の大量殺人事件[32]。同年7月19日に被疑者の鳥飼栄次(当時26歳)が逮捕されたが[32]、公判前の1927年1月13日に収監先の千葉刑務所で病死した[34]
  • 1926年(大正15年)5月 ‐ 龍野一家6人殺し。兵庫県揖保郡龍野町(現:たつの市)で、保険金目的で母・子・姪の6人を殺し、妻がやったという遺書を妻に書かせた上に自殺に追いやった[35]。犯人の男は1927年(昭和2年)5月27日に姫路支部裁判所で死刑判決を言い渡され、同年12月に死刑が確定、1928年(昭和3年)2月3日に死刑を執行された[36]
  • 1926年(大正15年)8月19日から9月30日 - 鬼熊事件[37]。戦前の千葉県で発生した大量殺人事件[38]千葉県香取郡久賀村(現:多古町)で岩淵熊次郎(当時35歳)が警察官を含む3人を殺害し、警察官・消防団員ら3人にも重傷を負わせ、民家1軒を放火で全焼させた[39]。岩淵は義理堅く素直な性格であったため、事件前から村民には親しまれており、逃走中に岩淵を匿った村民もいた。同月30日、岩淵は毒薬入り最中を食べて死亡した[39]
  • 1938年(昭和13年)5月21日 ‐ 津山三十人殺し岡山県苫田郡西加茂村(現:津山市加茂町行重)で当時21歳の青年が斧で祖母を斬殺したのを皮切りに、猟銃・日本刀を用いて近隣11戸を次々と襲い、最終的に30人を殺害、自身も猟銃で自殺した[40]。2016年時点で日本の犯罪史上、最大の大量殺人とされている[40]
  • 1942年(昭和17年)10月4日 - 耶麻郡加納村における親族鏖殺事件[41]福島県耶麻郡加納村(後の熱塩加納村、現:喜多方市)で日本刀を持った男が3軒を次々と襲って8人を殺害し[42]、最終的には自らの首を絞めて自殺した[43]。福島県で過去に発生した大量殺人事件の1つとして取り上げられている[42]

戦後

下記の一覧は1945年昭和20年)以降に日本で発生した事件で、「大量殺人」として扱われているものである。『読売新聞』 (2004) は警察庁からの情報として、1991年から2004年8月までの間に5人以上が殺害された大量殺人事件は暴力団抗争や無理心中を除き、計13件発生していると報じている[44]

事件名の列は都道府県順にソートしている。

さらに見る 事件名, 殺害人数 ...
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関連書籍

  • タイム・ライフ編、北代晋一訳『大量殺人者』同朋舎出版、1994年。ISBN 978-4810420982
  • ロバート・K.レスラーほか著、狩野秀之訳『快楽殺人の心理 : FBI心理分析官のノートより』講談社、1995年。ISBN 9784062073714ISBN 978-4062562713(文庫版)

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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