トップQs
タイムライン
チャット
視点

三俣村 (埼玉県)

日本の埼玉県北埼玉郡にあった村 ウィキペディアから

Remove ads

三俣村(みつまたむら)は埼玉県の北東部、北埼玉郡に属していた

概要 みつまたむら 三俣村, 廃止日 ...

地理

歴史

村名の由来

三俣の名前の由来には2つの説がある[3]

  • 利根川の鬼島・明知島によって川が三ツ又に流れていたため。
  • 利根川が多くの又となって流れていることから「水又」と呼ばれていたため。

年表

Remove ads

地名

  • 大字上三俣
  • 大字下三俣
  • 大字北篠崎
  • 大字北小浜
  • 大字多門寺
    • 天正年間の末ごろまでは多門寺という寺があったが、大水により流失した[14]

「みつまた」の表記揺れ

現在の「みつまた」の表記は「三俣」になっているが[15]、過去には異なる表記も見受けられた。下記に表記揺れの例を記載する。

  • 三ツ俣
  • 三又
  • 三ツ又
    • 1816年(文化13年) 上下三ツ又村議定書[20]
    • 1890年(明治23年) 北埼玉郡羽生領・川辺領、北葛飾郡島中領各町村 情願書[21]
  • 三股[22]

村長

歴代村長を下表に示す。代数は『加須市史 別編 人物誌』年月日は『埼玉県市町村合併史 下』[23]に基づく。表内の「出典」は『加須市史 別編 人物誌』に記載されているページ数を示す。なお、同書には顔写真が掲載されている。

さらに見る 代, 氏名 ...
Remove ads

人口

さらに見る 年月, 世帯数 ...
Remove ads

産業

主な産業は農業であった。1950年時点では、農業戸数は552戸、そのうち専業農家は336戸であった[26]

施設

寺社

学校

  • 三俣村立三俣小学校 - 大字北小浜に設置[30]
  • 三俣村立三俣中学校 - 1947年(昭和22年)4月に三俣小学校に併設されて開校したが、のちに昭和中学校に合併された[31]
  • 学校組合立昭和中学校 - 1950年(昭和25年)7月31日に、加須町との組合立で大字北小浜へ設置[32]
  • 私立埼玉女学校 - 1914年(大正3年)に大字下三俣字明知島へ移転されたが、1924年(大正13年)3月末に廃校となり、加須実科高等女学校に引き継がれた[33]

祭事・催事

  • 多門寺の獅子舞 - 江戸時代にはじまり、毎年7月下旬ごろに実施される[34]。加須市無形民俗文化財[35]
  • 北小浜の獅子舞 - 1670年(寛文10年)にはじまり、毎年7月11日に各戸を回る[36]。加須市無形民俗文化財[35]
  • 川浸り餅かびたりもち - 川に浸した餅米をついて餅にし、神棚に供えた。『加須市史』では、水害や干害にあわないよう祈るものと推測している。現在は行われていない。[37]

交通

道路

  • 二等道路

出身著名人

  • 堀越雪兆 - 画家[39]。1800年(寛政12年)5月5日生[39]。当時の下三俣村出身[39]。代表作『六曲屏風』は加須市有形文化財に指定されている[35]

脚注

参考文献

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads