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三輪市太郎

明治から昭和初期の実業家、政治家 ウィキペディアから

三輪市太郎
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三輪 市太郎(みわ いちたろう、1867年5月21日(慶応3年4月18日[1][2])- 1930年昭和5年)2月8日[3][4])は、明治から昭和初期の実業家政治家衆議院議員、愛知県会議長。

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三輪市太郎

経歴

尾張国海西郡、のちの愛知県[3]海部郡八開村[4][5][6][7][8][9](現愛西市)で、三輪伊三郎の四男として生れ[2]、1884年(明治17年)兄・伊兵衛の後を承けて家督を相続した[2]。普通学、漢文学を修めた[5]。農業を営む[10]

土木会社勤務を経て、独立して鉄道工事の土木請負業を営む[6]。資金を工面するため必要最小限の財産以外の全てを売却した[6]。次第に工事施工の内容に信用を獲得して事業を拡大した[6]。その後、中央土木社長、愛知鉄道社長、海島銀行取締役、日光川倉庫銀行監査役、愛知開墾社長などを務めた[2][3][5][6][7][10]

政界では、八開村会議員、水利組合会議員、海西郡会議員、同議長、愛知県会議員、同副議長、同議長を務めた[2][3][4][5][6][7]。1912年(明治45年)5月、第11回衆議院議員総選挙(愛知県郡部、立憲政友会所属)に出馬して初当選[2][11]。その後、1928年(昭和3年)2月の第16回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続6期在任した[3][4][8][9]。この間、政友会愛知支部常任幹事、同幹事長、政友会協議員、同幹事、同院内幹事、同党務委員会理事、同常務員会長、同院内総務、政友本党政務調査会長、政友会政務調査会長などを務めた[3][6][7][9]

その他、海部郡農会議員、愛知県農会議員、帝国農会議員、同評議員などに在任し[3][4]、海部地域の治水対策などに尽力した[8]

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国政選挙歴

脚注

参考文献

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