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上杉光弘

日本の政治家 ウィキペディアから

上杉光弘
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上杉 光弘(うえすぎ みつひろ、1942年昭和17年〉4月12日 ‐ )は、日本政治家

概要 生年月日, 出生地 ...

衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)、宮崎県議会議員(2期)、自治大臣第50代)、国家公安委員会委員長第60代)を歴任した。

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来歴

宮崎県西都市生まれ。1961年宮崎県立高鍋農業高等学校卒業。1966年東京農業大学社会通信教育部農業科修了。1971年宮崎県議会議員に当選(2期)。1983年衆院選宮崎1区から立候補するが、落選。1986年参議院議員に初当選し以後3期連続当選。

1990年第2次海部内閣大蔵政務次官1997年第2次橋本内閣改造内閣自治大臣国家公安委員会委員長1998年小渕内閣内閣官房副長官など要職を歴任。2001年に参議院憲法調査会会長に就任。参議院橋本派会長として活動する。この当時、平成研究会の集団指導体制時のメンバーだった[要出典]政治家の年金未納問題が注目された際には、年金の未納期間があったことが発覚している[2]

2004年7月、第20回参議院議員通常選挙野党無所属松下新平に敗れ落選。翌2005年9月11日第44回衆議院議員総選挙では宮崎1区からの立候補を希望するが選挙区調整の結果、郵政民営化に反対して自民党公認を得られず無所属で立候補した江藤拓に対する「刺客候補」として[要出典]宮崎2区から自民党公認で立候補するが落選。

2008年、上杉と長年の確執を抱える関係にある宮崎1区選出の国土交通大臣中山成彬が問題発言の責任を取って国土交通大臣を辞任。この騒動で中山に対する県連内部の反発が拡大したことで中山は次回総選挙の出馬を取りやめる事態となり、県連が実施した差し替え候補者の公募によって上杉が宮崎1区の候補者に内定した。しかし、中山が上杉との支部長交代に応じていないことから自民党本部の公認を得られない状態が続き、2009年8月30日第45回衆議院議員総選挙では保守分裂のまま無所属で出馬するも、政権交代の逆風にもあい、川村秀三郎(無所属、民主・社民・国民新党推薦)にダブルスコアを付けられ、中山ともども落選した。

その後、2010年の宮崎1区の自民党候補者公募に応募していた[3]が選に漏れた。2012年第46回衆議院議員総選挙では、自民党本部の判断で比例中国ブロックなら当選が見込めるとして単独(第20位)で立候補し、選挙期間中に一度も中国地方に入らないまま当選した。以後も政治活動は引き続き宮崎県を中心に行った。

2014年第47回衆議院議員総選挙では比例九州ブロックに単独34位で立候補するも、落選した。

2016年4月の春の叙勲旭日大綬章を受章する[4][5]

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政策・理念

人物

  • 2014年の第186回国会において、大臣、副大臣、政務官、補佐官、議長、副議長、委員長のいずれの要職にもついていなかったのみならず、質問、議員立法、質問主意書提出のいずれもなかったことが指摘された[7][8]

所属団体・議員連盟

著書

  • 『これでよいのか日本の国土 私の新国土保全論』(クレスト出版 1994年)
  • 『都市ばかりが日本ではない一国家再生への提言』 (鉱脈社 2002年)

出典

関連項目

外部リンク

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