トップQs
タイムライン
チャット
視点

与田順欣

日本の元プロ野球選手 (1943-) ウィキペディアから

Remove ads

与田 順欣(よだ よしのぶ、1943年10月3日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手

概要 基本情報, 国籍 ...

来歴・人物

八代商業高校では1961年春季九州大会県予選決勝に進むが、済々黌高に惜敗。夏も県予選で敗れ、甲子園には出場できなかった。しかし本格派右腕として注目され、熊本県選抜チームの一員として佐藤元彦松岡功祐末次民夫らとともに沖縄へ遠征した経験を持つ。直球に威力があり、また、スライダー、カーブ、シュートなど多彩な変化球も武器としていた。

1962年西鉄ライオンズへ入団。同年5月には初先発に起用されるが、結果を出せず2年間は低迷。1963年読売ジャイアンツとの日本シリーズでは3試合にリリーフで登板。1964年には先発陣の一角に入り、井上善夫と並ぶチーム最多の60試合に登板、7勝18敗を記録する。その後も先発、中継ぎと幅広く起用され、1967年には自己最多となる13勝を挙げるなど主力投手として活躍した。

しかし、1970年黒い霧事件に関わったとして永久追放され、球界を去った後はタクシー運転手に転身した。

Remove ads

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

  • 37 (1962年)
  • 23 (1963年 - 1969年)
  • 17 (1970年)
Remove ads

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads