トップQs
タイムライン
チャット
視点
井上善夫
ウィキペディアから
Remove ads
井上 善夫(いのうえ よしお、1941年9月27日 - 2019年12月31日)は、山梨県上野原市[1]出身のプロ野球選手(投手)。
Remove ads
経歴
日大二高では2年生でエースとなり、1958年秋の東京地区大会決勝に進む。日大三高の千原陽三郎と投げ合い1-0で完封、翌1959年の春の選抜への出場を決める。選抜では、1回戦でこの大会準優勝の県岐阜商に0-9で大敗[2]。県岐阜商には高木守道がいた。同年の夏の選手権にも出場。準々決勝に進出するが、東北高の嶺岸征男、波山次郎両投手の継投の前に2-3で惜敗[3]。8月末からは全日本高校選抜の一員として石黒和弘、朝井茂治らとアメリカ西海岸・ハワイ遠征を果たす[1]。秋の東京国体では決勝で平安高の藤野隆司に投げ勝ち、初優勝を飾った。
翌1960年に西鉄に入団[1]、力のある速球とスライダー、カーブ、シュートを武器とした。1961年から先発陣の一角を任され、わずか1勝と期待を裏切るが、翌年からは先発、リリーフとも安定した成績を残す。1963年のリーグ優勝に貢献、日本シリーズでは第5戦に先発するが敗戦投手となる。1964年5月16日の対阪急戦でノーヒットノーランを達成[1]。これで勢いに乗り、同年は17勝を挙げ、初めて規定投球回(16位、防御率3.23)に達するなど好成績を記録、翌1965年も11勝を挙げる。それ以降は成績が上がらず、1968年に巨人に益田昭雄、吉田勝豊との交換トレードで移籍するが、あまり出番はなく翌1969年に自由契約となる[1]。その後広島に移籍、球威の衰えをコントロールでカバーし、中継ぎとして活躍する。1971年に現役引退[1]。
その後、東京・恵比寿で飲食店を経営[1]。2006年8月10日放送の『笑っていいとも!』のコーナー『夏休み特別企画 我が青春に悔いなし!!』に出演し、久々に公に姿を見せていた。
2019年12月31日午後2時42分、敗血症のため死去。78歳没。2020年1月3日に西武ライオンズが公表された[4][5]。
Remove ads
詳細情報
年度別投手成績
記録
背番号
- 11 (1960年 - 1967年)
- 28 (1968年)
- 81 (1969年 - 1971年)
Remove ads
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads