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中山冷泉為尚
江戸時代前期の公卿。従二位権中納言 ウィキペディアから
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中山冷泉 為尚(なかやまれいぜい ためひさ)は、江戸時代前期の公卿。
生涯
慶長16年に叙爵され、2年後の同18年11月8日(1613年12月19日)、10歳で元服し、同日侍従になる。その後も昇叙し続け、寛永12年、従三位となり公卿入りを果たした。同18年正月には正三位に昇叙、同12月28日には参議となるも翌日には辞退している。権中納言に任じられた慶安2年2月30日(1649年4月11日)、帯剣を許される。同年4月には、病気のために権中納言を辞退した[2]。寛文2年(1662年)、59歳で薨去。法号は一行院観叟覚心[3]。
系譜
官歴
- 慶長16年12月29日(1612年1月31日)、叙爵
- 慶長18年11月8日(1613年12月19日)、侍従
- 慶長20年1月5日(1615年2月2日)、従五位上
- 元和4年1月5日(1618年1月31日)、正五位下
- 元和5年12月15日(1620年1月19日)、右近衛少将
- 元和9年1月5日(1623年2月4日)、従四位下
- 寛永3年12月1日(1627年1月18日)、右近衛中将
- 寛永5年1月7日(1628年2月11日)、従四位上
- 寛永8年1月5日(1631年2月5日)、正四位下
- 寛永12年1月5日(1635年2月22日)、従三位
- 寛永18年1月5日(1641年2月14日)、正三位
- 寛永18年12月28日(1642年1月28日)、参議
- 寛永18年12月29日(1642年1月29日)、参議辞退
- 慶安2年2月30日(1649年4月11日)、権中納言
- 慶安2年4月1日(1649年5月12日)、従二位(位記を同月3日に賜う)
- 慶安2年4月24日(1649年6月4日)、権中納言辞退
脚注
参考文献
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