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中村祐紀

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中村 祐紀(なかむら ゆうき、1995年7月24日 - )は、日本陸上競技選手。専門は中距離長距離走マラソン大阪府東大阪市出身。東大阪市立石切中学校大阪桐蔭高等学校[1]青山学院大学国際政治経済学部国際経済学科卒業、住友電工陸上競技部所属[2]

概要 中村祐紀, 選手情報 ...

身長165cm、体重56kg。実弟は同じく大阪桐蔭高校・青山学院大学陸上競技部各出身で、大阪ガス陸上部所属の中村友哉[3]

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経歴

高校時代まで

  • 東大阪市立石切中学校1年から陸上を始める。
  • 全日本中学校陸上競技選手権大会で800mに出場するも予選落ち。
  • 大阪桐蔭高校3年時の全国高校総体2013・陸上1500mで2位に入り、大阪府の高校記録(当時:3分48秒76)を樹立した。
  • 2013年11月の全国高校駅伝大阪府予選では3区で区間賞を獲得し大阪桐蔭高校を初優勝に導く[4]。この大会では2区を務めた友哉との兄弟リレーも果たしている。第64回全国高校駅伝では1区区間6位(チーム総合22位)の成績を残した(友哉も出場し7区区間5位)[5]

大学時代

  • 2014年に青山学院大学に進学。1年時は学生三大駅伝全てにメンバー入りを果たすも、補欠に留まる。
  • 2年時の第27回出雲駅伝では2区区間4位。2016年の第92回箱根駅伝では9区区間7位に留まったが、チームは2位以下に大差をつけ箱根駅伝連覇を果たす。
  • 3年時は夏に大腿部を痛め出雲駅伝には出場できなかったが、第48回全日本大学駅伝では7区区間5位でアンカー一色恭志の逆転優勝に繋いだ。第93回箱根駅伝では当初10区にエントリーされたものの、当日安藤悠哉主将に交代となった。
  • 2017年2月26日、初マラソンとなる東京マラソンに出場。2時間12分台の記録で全体18位(日本人8位・学生1位)の成績を残した。中村自身は2時間15分台を当初の目標としていたが、これを上回る快走を見せた。
  • 4年時の第49回全日本大学駅伝では1区を任されるが集団のハイペースについて行けず7.5km付近で集団から脱落。トップ東洋大学と1分22秒差の10位(区間11位)と大きく出遅れチームも総合3位に終わり、第94回箱根駅伝は16人のエントリーメンバーに入ることも叶わなかった。

社会人以降

  • 2018年4月、住友電工へ入社。ニューイヤー駅伝には入社初年度の第63回大会から3年連続出場。
  • 約3年振りのマラソン挑戦と成る、2020年2月2日の第69回別府大分毎日マラソンでは、自己記録を丁度1分更新する2時間11分台で総合11位(日本人7位)となった。
  • 2021年2月28日、最後の大会(翌年から大阪マラソンと合併)となった第76回びわ湖毎日マラソンでは総合49位(日本人47位)に終わるも、自己記録を1分以上更新の2時間10分台でフィニッシュ。
  • 2022年12月4日の第53回防府読売マラソンに出走。過去同大会4度覇者の川内優輝が早々15Km過ぎで脱落するも、中村は終始先頭グループに待機。レース後半の33Km付近で中村一人だけ集団から抜け出すと、他男子選手は誰もついていけずそのまま独走へ。結果自己記録を2分以上更新し、初めてのサブ10(2時間10分未満)をマークする2時間8分台の記録で、フルマラソン初優勝を達成[6]。さらに、2024年パリオリンピック選考会の2023年MGC出場権(同年秋開催予定)も獲得した[7][8]
  • 2023年10月15日のMGC本番レースに出場するも、序盤の5Km過ぎで2位争いの集団から完全脱落してしまい、結局52位に終わった[9][10]
  • 2025年2月23日の地元・大阪マラソンの完走(121位)を最後に、現役引退を表明した[11]
  • 引退後は大阪市内を拠点に、ランニングチーム「Arke Running Club」のスタッフとして活動予定[12]
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人物

戦績

要約
視点

主な戦績

さらに見る 年, 大会 ...

大学駅伝戦績

さらに見る 学年(年度), 出雲駅伝 ...

マラソン成績

さらに見る 年月, 大会 ...

自己記録

脚注

外部リンク

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