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二条持基

室町時代中期の公卿、歌人。二条師嗣の次男。従一位、摂政、関白、太政大臣。藤氏長者、二条家9代。勅撰集『新続古今和歌集』に3首入集。子に尊応(1432-1514.2.2、天台座主、天王寺別当、 ウィキペディアから

二条持基
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二条 持基(にじょう もちもと)は、室町時代中期の公卿歌人

概要 凡例二条持基, 時代 ...

生涯

父は関白二条師嗣で次男[1]。母は参議東坊城長綱の娘[1]。初名は基教(もとのり)という[1]応永17年(1410年)に兄の満基が急死したため、その養子となって家督を継いだ[1]。応永31年(1424年)、称光天皇の関白となる[1]正長元年(1428年)に称光天皇が崩御し、後花園天皇が即位すると摂政に転じた[1]永享5年(1433年)に関白となる[1]。官位は従一位太政大臣になった[1]

書道歌道にも優れ、京都郊外の岩倉の別邸で歌会を何度も催している[1]。『新続古今和歌集』には持基の詠歌が収められている[1]

文安2年(1445年)11月3日に死去。享年56[1]。家督は子の持通が継いだ。

経歴

※ 日付=旧暦

系譜

  • 父:二条師嗣(1356-1400)
  • 母:参議東坊城長綱の娘
  • 養父:二条満基(1383-1411)
  • 妻:石橋殿 - 石橋信乗の姉妹
  • 生母不明の子女
    • 男子:尊応
  • 養子
    • 男子:隆快

脚注

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