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五百蔵左馬進 (2代目)

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五百蔵 左馬進(いおろい さまのしん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将長宗我部氏の家臣。

概要 凡例五百蔵左馬進, 時代 ...

略歴

桑名親光の次男で、初代五百蔵左馬進戸次川の戦いで討死した後、左馬進の娘を娶り義父と同じ名を名乗った[1]。子に、土佐の医師桑名古庵がいる[2][3]

慶長5年9月15日関ヶ原の戦いに参加。西軍が敗れると主君長宗我部盛親に従い大坂に退却した。その後浅野家の家臣浅野良重を頼って紀伊田辺に隠棲していたが、大坂の陣の際に盛親を慕って入城した[3][4]慶長20年5月6日八尾の戦いで、盛親の馬前で討死した[1]

脚注

参考文献

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