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井上圭一
日本のプロ野球選手 (1951-) ウィキペディアから
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井上 圭一(いのうえ けいいち、1951年10月4日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
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来歴・人物
静岡県立吉原工業高校から三菱重工川崎(1970年に三菱自動車工業川崎工場となる)に進み、池田善吾とともに左右の二本柱として活躍した。1970年11月、東映フライヤーズからドラフト2位指名を受けるも、入団を拒否[1]。
1971年の都市対抗に出場し、1回戦で新日鐵広畑の三沢淳らと投げ合うが敗退[2]。同年11月のドラフト会議で、ロッテオリオンズに全体1位で指名される。しかし交渉権を保留して翌1972年の都市対抗に出場。準々決勝では電電九州を相手に先発、勝利投手となる。チームは決勝まで進出するが、日本楽器の新美敏に完封を喫し、準優勝にとどまる[2]。他のチームメイトに原田俊治、鈴木博昭、永尾泰憲(いすゞ自動車から補強)らがいた。その後、ドラフト最終期限前にロッテオリオンズに入団した[1]。
オリオンズでは1年目から公式戦登板を果たすが、僅か4試合に投げただけで、2年目は肘の故障などの影響で活躍できなかった。
1974年オフ、池辺巌と共に、鈴木皖武・上辻修・小川清一・森山正義・平山英雄との交換トレードで阪神タイガースへ移籍[1]。しかしタイガースでは公式戦登板の機会がなく、1年在籍しただけで退団[1]。24歳の若さでプロ球界から去った。その後は、地元で会社勤務[3]。
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詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板:1973年4月18日、対日拓ホームフライヤーズ前期2回戦(後楽園球場)、5回裏から3番手で救援登板、2回無失点
- 初先発登板:1973年4月22日、対阪急ブレーブス前期4回戦(後楽園球場)、2/3回4失点(自責点0)で勝敗つかず
背番号
- 19(1973年 - 1974年)
- 43(1975年)
脚注
関連項目
外部リンク
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