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井上彦左衛門
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井上 彦左衛門(いのうえ ひこざえもん、1853年11月25日(嘉永6年10月25日[1][2][3]) - 1929年(昭和4年)5月2日[4][3])は、明治から大正時代の政治家、銀行家。新聞経営者。大地主[3]。衆議院議員(5期)。幼名は幾次郎[5]。
経歴
先代の豪農・井上彦左衛門の長子として[1][注 1]、駿河国有渡郡八幡村(安倍郡豊田村を経て現静岡市)に生まれ[5]、1883年(明治16年)3月、家督を相続する[2]。下総の遠藤良規に学ぶが水戸城焼失事件で疑われ投獄される[5]。1873年(明治6年)釈放され帰郷し、1882年(明治15年)野崎銀行創立に参画し取締役兼支配人に就任する[5]。1884年(明治17年)静岡県会議員に当選し1890年(明治23年)まで務めた[5]。『静岡民友新聞』を創刊し社長を務め立憲改進党の立場で論陣をはったほか[3]、静岡農工銀行頭取、駿府銀行専務取締役、静岡銀行取締役などを歴任した[5]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では静岡県第1区から出馬し当選[4]。つづく第2回、第3回、第4回、第6回総選挙でも当選し衆議院議員を通算5期務めた[4]。
脚注
参考文献
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