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井原昂
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井原 昻(いはら のぼる[1] / たかし[2]、1840年 11月6日(天保11年10月13日[1])- 1923年(大正12年)1月8日[3][注 1])は、幕末勤王の志士、明治期の内務官僚。官選島根県知事。通称・応助、守一。号・松礀、天遊、鉄扉。別名・岩神主一郎[1]。

経歴
土佐国高岡郡佐川村(現高知県高岡郡佐川町)で、土佐藩家老・深尾家家臣、古沢南洋の長男として生まれる。本家の岩神家を継ぎ岩神主一郎と改名したが、その後、曾祖父の井原家を再興し改姓[1]。
武市瑞山から剣法を学び、文久元年(1895年)、土佐勤王党に加盟した。上洛し尊王攘夷運動に加わるが、勤王党の獄で父・南洋、弟・古沢滋と共に投獄された。慶応3年末(1868年始め)に釈放され、慶応4年、伊予松山藩征討の深尾重愛家老のもとで従軍。その後、土佐藩兵の教頭などを務めた[1]。
明治3年(1870年)東京で一等士官となる。以後、大阪鎮台出仕、司法省検事局勤務、元老院権少書記官、高知県権参事などを歴任し、1877年(明治10年)初めに退官した[1]。
1877年8月、立志社の獄に連座し、1878年(明治11年)8月、禁獄10年の判決を受け秋田監獄に収監された。1883年(明治16年)特赦によって出獄した[1]。
その後、再び官途に就き、群馬県吾妻郡長[4]、同北甘楽郡長[4]、千葉県香取郡長、農商務書記官[5]、沖縄県参事官[5]、同書記官、山梨県書記官[6]、熊本県書記官[7]、新潟県書記官[8]、三重県書記官[9]、広島県書記官[10]などを歴任。
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栄典
親族
脚注
参考文献
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