トップQs
タイムライン
チャット
視点
井口延次郎
明治末から昭和期の実業家・政治家 ウィキペディアから
Remove ads
井口 延次郎(いぐち のぶじろう、1882年(明治15年)1月14日[1] - 1965年(昭和40年)6月7日[2][3])は、明治末から昭和期の実業家・政治家。衆議院議員。
経歴
三重県[2]三重郡、のちの四日市町(現四日市市[4][5][6])で、素封家、石材商[4]・井口長右衛門の二男として生まれた[7]。小学校卒業後に上京し[5]、国民英学会で学んだ[2][3][6][7]。
貿易商薩摩商会に入り[2][6][7]下積みから始めて次第に信頼を得て[4]、東京本店、大阪支店、旅順出張所などで勤務した[7]。第一次世界大戦時に井口汽船部、弥彦商会、東京海運 (株) を設立して[2][3][6]、海運業で巨万の富を築いた[4][5]。その他、朝日海陸運輸、東洋耐火煉瓦、東洋電業、明光堂などを経営した[2][3][6]。
政界にも進出し、1924年(大正13年)5月、第15回衆議院議員総選挙で三重県第2区から政友本党公認で出馬して初当選し[8]、1928年(昭和3年)2月の第16回総選挙でも再選され[9]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3][5][6]。この間、田中義一内閣・総理大臣秘書官、大礼使事務官などを務めた[2][3][5][6]。
Remove ads
国政選挙歴
- 第14回衆議院議員総選挙(三重県第2区、1920年5月、立憲政友会)次点落選[10]
- 第15回衆議院議員総選挙(三重県第2区、1924年5月、政友本党公認)当選[8]
- 第16回衆議院議員総選挙(三重県第1区、1928年2月、立憲政友会)当選[9]
- 第17回衆議院議員総選挙(三重県第1区、1930年2月、立憲政友会公認)次点落選[11]
- 第22回衆議院議員総選挙(三重県全県区、1946年4月、日本自由党公認)落選[12]
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads