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井口村 (富山県)

日本の富山県東礪波郡にあった村 ウィキペディアから

井口村 (富山県)
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井口村(いのくちむら)は、かつて富山県東礪波郡におかれていたである。2004年平成16年)11月1日合併して南砺市となった[1]

概要 いのくちむら 井口村, 廃止日 ...

国内有数のユキバタツバキの自生地があり、日本一の椿村を目指した。

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地理

  • 山: 赤祖父山、扇山、大寺山、丸山
  • 河川: 山田川、赤祖父川、千谷川
  • 湖沼: 赤祖父池

隣接していた自治体

歴史

村名は、かつてはこの一帯に井口郷があったことに由来する。

江戸時代初期には、井口村の中心集落は「町村(まちむら)」と呼ばれていた。これは中世にこの地点に井口地域の「」があったことを示している。その後、戦国時代の城端町成立の際に「井口の市」は吸収され、「城端の六斎市(後に九斎市)」の一部となった。

1647年正保4年)の資料には、福光から井波へ出る道筋として、「福光村 - 一日市(していち)村 - 宗守村 - 町村(後の井口村) - 井波村」とある。

宗守から東へ進まずにあえて南方の「町村」へ向かっているのは「井口の市」が無くなってから70年以上経過し、中世から近世への時代の変化の中にありながら、市場として栄えていた頃の名残が、この時点で薄れていないからとも考えられる。

井口村は町村制施行時に発足する。 以降、南砺市になるまで一度も合併は行っていない。

沿革

明治以前

これ以降、井口氏は石黒荘大光寺郷『井口』を本拠にして在地化したといわれる。

  • 14世紀 - この頃には井口に市があったとされる。
  • 1573年元亀4年) - 城端町開町にともない、「井口の市」が城端の市に統合される。
  • 1646年(正保3年) - 資料に「町村」の村名が初見。
  • 1647年(正保4年) - 福光から井波へ出る道筋の中に町村が出てくる。
  • 1652年承応元年) - 町村の村名が「井口村」に改められる。

明治以降

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行政

  • 村長: 伊東浩(2004年まで)

地域

教育

  • 井口村立井口小学校
  • 井口村立井口中学校

交通

道路

バス

  • 福野町営バス

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

脚注

関連項目

外部リンク

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