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仙台市道路愛称名
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仙台市道路愛称名(せんだいしどうろあいしょうめい)は、宮城県仙台市において、国道・宮城県道・仙台市道の正式名称とは別に、市が認定した道路の愛称である。本稿では、仙台市における道路愛称の嚆矢である、河北新報社の公募によるものも含める。
ある程度一体的とみなせる道路区間に対し愛称が付けられているため、県道・市道の各々全線の場合もあれば、国道・県道・市道の各々一部区間をつないでいる場合もある。
概要
1945年(昭和20年)7月10日の仙台空襲で焼け野原となった仙台市は、戦後占領期の1946年(昭和21年)5月には中心市街地等において戦災復興土地区画整理事業の区域を決定し、1947年(昭和22年)2月より施行した[1]。この事業では既存道路の大幅な拡幅のほかに、幹線道路の新設も行われ、後の仙台市都心部における骨格道路網を形成することになる。1947年(昭和22年)、河北新報社が宮城県や仙台市の後援を受けて、新設幹線道路である元寺小路川内線および仙台駅川内線の愛称を公募した。この結果、「広瀬通」および「青葉通」が最多数を得て、それぞれの愛称として決まった[2]。
1982年(昭和57年)6月23日の東北新幹線開業に合わせ、仙台市も1981年度(昭和56年度)から1982年度(昭和57年度)にかけて道路愛称命名事業を実施し、市民からの応募の中から有識者・報道機関・市民代表によって15路線の愛称を選定した[3]。
1989年(平成元年)4月1日に政令指定都市に移行した仙台市は、1996年(平成8年)1月1日施行の「仙台市道路愛称命名事業実施要綱」により、道路愛称の選考の場を市から各区に移した[3]。これにより、要望に基いて区長が地元住民を含む選考委員会などで協議し、市長が最終判断するという命名過程が定型化したため、対象路線の範囲が郊外にも拡大し、任意の時期に追加されていくこととなった[3][4]。
広瀬通、青葉通以外の命名された愛称は1982年(昭和57年)より正式に仙台市の道路の愛称として使用されているが、それ以前からも市民によって幅広く呼ばれたものがほとんどである。しかし、晩翠通は以前は細横丁と呼ばれ、愛宕上杉通もおのおの上杉山通、東五番丁、清水小路と呼ばれていた道を繋いで造った通りであるなど、この事業によって古くから市民に呼ばれていたものとは異なる愛称になったものも存在する。
1983年(昭和58年)以前に命名された道路愛称には「通」に送り仮名は無い。1996年(平成8年)以降に命名されたほとんどの道路愛称には送り仮名の「り」が付くが、例外として「光彩通」には送り仮名が付かない。
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脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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