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仙頭武央

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仙頭 武央(せんとう たけなか/たけてる、1864年4月30日元治元年3月25日[1] - 1919年大正8年)12月11日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将。幼名、外太郎。

履歴

1864年(元治元年)、土佐国安芸郡穴内村(現在の高知県安芸市)に生まれた。父、武英は旧藩時代の安芸町寄役。申議学舎で船本楠吉に学び、1883年(明治16年)10月、海軍兵学校10期)を卒業し海軍少尉補となる。1886年(明治19年)4月、海軍少尉任官。

日清戦争には「千代田分隊長として出征。1896年(明治29年)7月、「鎮遠」砲術長となり、「平遠」副長を経て、1897年(明治30年)12月、海軍少佐に昇進し「浅間」回航委員に発令されイギリスに出張。「浅間」砲術長を経て、1898年(明治31年)10月、海軍中佐に進級。

1898年12月、造兵監督官に就任し、「須磨」「浪速」「八雲」の各副長、海兵砲術教官、兼海兵監事長、呉鎮守府艤装委員などを歴任し、1903年(明治36年)10月、「対馬艦長に着任。コルサコフ海戦日本海海戦に参加した。1905年(明治38年)1月、海軍大佐に昇進。同年8月、「浪速」艦長に就任し、以後、「春日」「八雲」「周防」「鈴谷」(兼)の各艦長を勤める。1908年(明治41年)5月、横須賀海兵団長となり、兼海軍砲術学校長、呉海兵団長を歴任。

1910年(明治43年)12月、海軍少将に進級し鎮海防備隊司令官兼臨時建築部支部長に就任。以後、呉予備艦隊司令官、呉鎮守府艦隊司令官を歴任。1913年(大正2年)12月に待命。1914年(大正3年)12月1日、海軍中将に進むと同時に予備役編入となった[2]1919年(大正8年)12月11日没。

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栄典・授章・授賞

位階
勲章
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脚注

参考資料

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